クリエイターとキャラクター『ムーミンが愛される理由』

2025.07.18

「ムーミン」小説の出版80周年を記念した展覧会「トーベとムーミン展〜とっておきのものを探しに〜」が東京・六本木の森アーツセンターギャラリーで開かれる。作者トーベ・ヤンソン(1914~2001年)の思想、哲学や創作の世界を振り返るとともに、彼女の人生が色濃く反映された「ムーミン」シリーズの魅力をひもといていく。

玉重佐知子=文 text: Sachiko Tamashige 

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STORY


1970年代、1990年代にテレビアニメーション化され、日本でも知られるようになった「ムーミン」。もともとは、トーベ・ヤンソンが物語をスウェーデン語で書き、挿絵をつけた小説「ムーミン」として始まった。主人公のムーミントロール(注1)は、好奇心旺盛な心優しい男の子。のどかなムーミン谷のムーミンやしきで、ムーミンママ、ムーミンパパと暮らしている。このムーミンやしきに、リトルミイ、スノーク、スナフキンといった仲間や外からの来訪者たちが入れ代わり立ち代わりやってくる。登場するのはいずれも強い個性のキャラクターたち。時には、招かれざる客もいて大騒ぎになるが、一見ネガティブに思われる存在も排除されることなく、ムーミンやしきの扉は、いつでも、誰にでも開かれている。

作者トーベ・ヤンソンの生涯

トーべ・ヤンソンがムーミンの世界を創り出したのは、戦時中のこと。過酷な現実に傷ついた心を癒やすためでもあった。ムーミン物語の誕生について、トーベはこう語っている。

「本業は画家だけれど、1940年代の初め頃、あまりに絶望的な気持ちになったので、おとぎ話を書き始めたのです」

(『ムーミンの生みの親、トーベ・ヤンソン』
トゥーラ・カルヤライネン著、河出書房新社より)──

トーべは、1914年、フィンランドのヘルシンキで、スウェーデン語系フィンランド人の彫刻家である父ヴィクトルと、スウェーデン人の挿絵画家である母シグネの間に生まれた。二人の弟も加えた5人家族の生計を主に担っていたのは母のシグネだった。

ヤンソン家には、両親の影響による芸術的気風と、母が書籍の挿絵なども手がけたため、哲学や文学などの蔵書が豊かにあった。トーベはものごころついた頃には、既に絵を描き始め、画家を志し、経済的な負担から母を救いたいと思い、挿絵の仕事を手がけるようになる。

トーベは、政治風刺雑誌『ガルム』にわずか15歳で挿絵を描き始め、その後約20年にわたり、同誌を代表する画家として活躍した。『ガルム』で、トーベは果敢にも、ヒトラーらしき独裁者をユーモラスに描き、反戦への思いをはっきりと表明、若くして風刺画家としての地歩を固めた。

1943年頃には後のムーミントロールの原型ともいえる「スノーク」を『ガルム』に登場させている。スノーク(注2)はトーベが子どもの頃に生み出した、彼女の分身ともいえるキャラクターだ。

ムーミン小説は、『小さなトロールと大きな洪水』『ムーミン谷の彗星』『たのしいムーミン一家』『ムーミンパパの思い出』と続き、9作まで発表されたほか、トーベは、絵本、新聞連載漫画、戯曲など様々なメディアで〈ムーミンシリーズ〉の作品を発表。

それに付随した仕事も含め、挿絵、児童や大人向け小説、絵本、舞台、絵画、公共施設の壁画制作と多方面で活躍した。「職業は?」と尋ねられれば、「画家」と答えるほど、トーベにとって、画家としてのアイデンティティは重要だった。

1954年以降、トーベが描いたムーミンの漫画が英国の新聞「イブニング・ニュース」に連載され、世界40か国以上、2000万人を超える読者を得て、「ムーミン」は、一気に世界的ベストセラーとなる。トーベは忙殺され、絵画制作もままならず疲弊、この連載を弟のラルスに任せて自らは手を引く。1960 年代からは、再び絵画や大人向けの小説に意欲的に取り組むのだった。

この頃までに、トーベは女性のパートナー、トゥーリッキ・ピエティラと共に暮らし、夏は離れ小島のクルーヴ島に建てた小屋で、自然の中で創作三昧の日々を送り、冬はヘルシンキのアトリエ兼住居で寝泊まりした。それでも、社会や生活の中で孤独を感じ、ムーミンの世界の中に安全な居場所や慰めを見出した読者からの膨大なファンレターには、自ら努めて返事を書いた。

精力的に絵画制作も行い、様々な自画像も描いたトーベだが、本展の第1章で紹介されている「煙草を吸う娘(自画像)」は、とりわけ印象的だ。前を向き、不敵な面持ちで煙草を吸うトーベの姿は、既成概念に流されることなく、自由な精神を保ち、自分らしさを貫き、人生を生き抜いていく、というトーベの宣言のようにも思われる。


注1 ムーミントロール
……トーベの小説「ムーミン」シリーズの主人公の名前。北欧の伝説に現れる妖精トロールに由来する。トーベが叔父の家に下宿していた頃、おなかがすいて、時折夜中に戸棚から盗み食いをしたのが見つかり、叔父から「そんなことをしてるとムーミントロールが出るよ」と脅されたという。以来、怖いお化けのようなムーミントロールのイメージが、トーベの頭の中に生き続けた。初期の頃は、ムーミントロールも黒かったり、おどろおどろしい姿だったりしたが、徐々に、現在のような白く、丸みを帯びた親しみやすい姿に変化していった。

注2 スノーク
……トーベは10代の頃、フィンランドのペッリンゲ群島で、6歳下の弟のペル・ウーロフと哲学者のカントについて口論した。その直後、腹立ち紛れにトイレの壁にムーミンらしき姿(SNORK〔スノーク〕と添え書きがある)を描いたという。それがトーベが最初に描いたムーミントロールの原型。

NEXT トーベが生涯貫いた自分らしさとは?ムーミンの精神をひもとく

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