西谷真理子=文


VOL.2 さまざまな「日本」がファッションの舞台に登場した。

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UNDERCOVER 2021A/W


 コロナ禍で、ファッション周辺で変わったことはいくつもあるが、最大のものは、ファッションウィークがデジタル中心になったことだろう。日本では、リアルなショーが1日に2〜3件は行われたが、欧米では、ほぼ全部が無観客ショーか特別に作られたショートムービーだった。この世界中のジャーナリストやバイヤー、あるいはファッションに興味のある人が誰でもアクセスできるオンライン配信でのコレクションにおいては、今までの当たり前が、当たり前でなくなった。ファッションを形作っていたヒエラルキー(ファーストロウに座るのは誰かというような)も、シーズンのトレンドも見えにくくなっている。雑誌や新聞のウェブ版を楽しく飾るファッションウィーク期間中のストリートスナップも、写っているのはたいていモデルたちかブランド関係者で、最先端のファッションの動向がよくわからない、つまり共有できていない状況では、人々は現実的な、スポーツテイストの服装をおしゃれに着こなしているのだ。ハイヒールは少なく、最新のスニーカーが目立つ。そして、モデルたちの肌の色はいつも以上に、多様だ。

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UNDERCOVER 2021A/W


 そんな中心を喪失したような中で、アンダーカバーが東京で発表したエヴァンゲリオンとコラボレーションしたコレクションには引き付けられた。高橋盾はこれまでもスター・ウォーズやチェコの映像作家ヤン・シュヴァンクマイエルをテーマに、ダーク・ファンタジーをファッションで表現してきたけれど、今回は欧米ではなく日本の作品ということもあって、かつてエヴァンゲリオンにハマったことのある世代の格別に熱い反響が感じられた。パリでこのコレクションを発表していたら反応はきっと少し違っただろう。それは服のデザインや完成度の問題ではなく、ファッションを取り巻く文化の問題なのだろう。

 アンダーカバーのエヴァンゲリオンは象徴的だが、日本人ならすぐ共有できる「日本」の文化が、今回のコレクションでいくつか目に留まった。



 赤坂公三郎のブランド、KOZABURO(コウザブロウ)のコレクションムービーは、「Monk Wear 霊山と言われる高野山金剛峯寺南院を舞台に、3人の僧侶さながらのモデルによる日常を描いたものである。胸にMonk Wearと書いたTシャツを着たところから始まるその日常は、読経をしたかと思うと、藍色のスポーティなスーツを着て寺の中を足早に歩き、広間でコンテンポラリーダンスのような動きを見せたりする。日本の道着をファッションに昇華させる服作りを行っているニューヨーク在住の赤坂公二郎は、この動画では、いわゆる僧衣や作務衣などの日本的なキモノをあえて使わずに、高野山という場の力を借りて、「日本の服」を見せた。


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KEISUKE YOSHIDA 2021A/W


 吉田圭佑がKEISUKEYOSHIDAで構想するコレクションに登場する少女は、一貫して、日本のファッションブランドが脚色して描きたがる西洋風の少女像ではない。だからモデルも外国人モデルは使わない(今回のコレクションでは、モデルの顔はフードなどで隠されてほとんど見えないけれど)。この女子高生を思わせる少女たちの情景は、日本人ならすぐわかる。そして、少女たちの内面の屈折を表現するかのように、服の形はデフォルメされたり、壊れかけていたりしている。

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BALMUNG 2021A/W


 HACHIが作るBALMUNGのコレクションは、陽光がさんさんと入る馬喰横山のギャラリースペースで行われた。これまでBALMUNGのコレクションは、とかくアート作品のようなものとして、考えられがちだったが、今回は、明るいギャラリースペースを選び、アーティストの鈴木操が特別に制作した作品の間をモデルが回遊するようなプレゼンテーションだったことも相待って、造形的な服が日常に溶け込む様子が実感できた。
 シグニチャーとも言える肩線の落ちたフード付きのオーバーサイズのジャケットや、エヴァンゲリオンならぬ機動戦士ガンダムを思わせるパーツを合体させたような服、巨大なグローブなどは健在だが、素材は柔軟になり、ウェアラブル性に一層配慮して、非日常ながらユニークな日常服としての存在感を放っていた。これも一つの日本文化ではないだろうか。

 かつて、1970年代には、高田賢三や山本寛斎などのデザイナーが、日本のキモノ文化(とりわけ江戸文化)をファッションという形で欧米にアピールしたが、今回コロナ禍の中で放たれたのは、欧米向けのエキゾチズムではなく、自分たちに内在する「日本」をトレンドに邪魔されることなく放ったという意味で注目したい。

 そういえば、アンリアレイジの今シーズンのテーマ「GROUND」は、地面が逆さになったら、という設定で、モデルたちが天井を逆さのままに歩くという奇想天外なショー。デジタルならではの動画だった。森永邦彦の藤子F不二雄好きは以前から聞いていたので、いつかパリでドラえもんがコレクションに登場するのでは、と内心期待してきたが、これは、きっと密かな藤子F不二雄ワールドでは?真偽の程はわからないが、ファッションショー観戦では、こういう独自の解釈も許されるだろう。これも、また「日本」だと思う。



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