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シンガーソングライターのKarin.さんが、3月にリリースした3枚目のアルバム『solitude ability』。このアルバムから着想した同名のショートフィルムが公開され、話題を呼んでいる。監督と脚本を手掛けたのは、映画『少女邂逅』やドラマ「あのコの夢を見たんです。」、崎山蒼志や羊文学など数多くのアーティストのMVを生み出してきた、枝優花さん。主演を務めるのは、乃木坂46卒業後、役者として様々な作品に出演しながらキュレーターやクリエイターとして展覧会を企画し、多彩な才能を輝かせている伊藤万理華さん。『装苑』には縁の深い二人が初めて共に作り上げた映像作品の裏側に込められた思いを、お二人の対談でお届けします。

photographs : Jun Tsuchiya(B.P.B.) / hair make up : Aya Murakami / interview & text : SO-EN


『solitude ability – 涙の賞味期限 – 』



ーー撮影から2ヶ月、そして公開からは3週間ほど経っていますが、お二人にとって、今ショートフィルム『solitude ability – 涙の賞味期限 – 』(以下『solitude ability』)は改めてどんな作品になっていますか?

枝優花(以下、枝):『solitude ability』を書いていたのは2020年末でした。私自身はもう疲れ果てている時で・・・。それは、当時色々なお仕事をしていたことに対する疲れです。もちろん楽しくもあったので、仕事をやりたい・やりたくないということではなく、もう少し自分と向き合い落ち着いてものを作りたいなと考えているような時期でした。そんな状況の中、年末に帰省した実家で書いた作品です。白黒はっきりさせなきゃいけないことが多かったり「どっちなの?」と考えたりあるいは聞かれたりすることが多かったタイミングで、色々なことを曖昧化させたいという思いが大きかったんですね。分からなくても良い、分からないことだって良い、と自分でも言いたいと思って書いていました。

 そうして作った作品を、今は少し客観視もしながら見ています。どう評価するのか自分では難しいですが、モヤっとしていたものはそのまま入れられたかな、と。無理に答えを出さずに作品に落とし込めたかなという感覚でいます。

伊藤万理華(以下、伊藤):私は昨年、コロナ禍でいつも以上に「自分って何だろう?」と考えているようなタイミングでした。自分の職業は何か、一体自分は何者なのか。私は『solitude ability』で男の子役としてお願いします、という風に言われていましたが、そのことで、自分自身が言葉にできなかったり答えを出せなかったりする気持ちに対し、曖昧なままでいいんだよと肯定された気持ちになりました。思えば必ずしも「女の子」でいなきゃいけないわけでもないですし、自分のキャラクターや職業に境界線を作る必要もないんですよね。そう思ったら、今までやってきたことは間違いじゃなかったとも感じました。これまでがあったからこそ巡り会えた作品だったのかなとも思っています。


ーー枝さんが『solitude ability』で、伊藤さんに主人公の少年を演じてほしかったのはなぜでしょうか?

枝:そもそもこの作品、ちょっと成り立ちが変わっているんです。通常であれば、監督である私が俳優をキャスティングをする流れが多いのですが、今回は逆に、私が監督として万理華さんにキャスティングされています。

伊藤:私がまず、Karin.さんからオファーをいただきました。Karin.さんに、企画の段階から何か携われませんか?とお声がけいただき、すごく面白そうだなと思いながらも、私が一人で映像を企画したり作ったりすることはできない。私は表に立って演じるしかない、と思った時にKarin.さんが作る曲や歌う歌で私自身が何かするとしたら、枝さんとご一緒したいなと考えたんです。枝さんに映像を監督していただくのが良いのではないでしょうか、とKarin.さんにお伝えしたら、Karin.さんも枝さんの作品がお好きだということで、ぜひお願いしたいですねって。

枝:最初お話をいただいた時は日程がうまく合わなくて、引き受けられなかったんです。でも、たまたまふっとスケジュールが空いて、こちらから「空きましたが、まだできますか?」とうかがいました。そうしたらまだ監督が決まっていませんということで、やらせていただけることになったんです。

 元々、私たちは『装苑』の同じページ内でコラム連載をしていたけれど、実際に会ったことはないという仲で。私としても、ずっと万理華さんを撮ってみたいなと思いながら、勝手に追いかけていたような感じだったんです。髪をばっさり切ったのっていつでしたっけ?


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写真上 枝優花さん。


伊藤:2018年です。

枝:その頃から、私は特に万理華さんが気になるようになったと思います。グループ卒業時の個人MV『はじまりか、』を、私も私の周りもすごく見ていて、皆で「伊藤万理華、最高!」と話していたんです。それもあって『はじまりか、』でのイメージが強かったのですが、卒業後、気づいたら髪をばっさり切られていて「あれ!?」と。そこからどんどん表情が変わっていったように感じ、一体どんな心境の変化かな?と思っていたんです。現場でもあまりそんな話はしていなかったけれど・・・どんな心境の変化だったの?


伊藤万理華 個人MV『はじまりか、』


伊藤:髪を切ったこと自体は『映画 賭ケグルイ』のためでした。映画で髪を切るシーンの前日に『装苑』のページ内で髪を切るという企画をやらせていただきショートヘアにしたのですが、そこからは気持ち的にも楽になりました。

 それは髪型だけの問題ではなく、年齢的にも、ようやく制作側の大人のかたがたと話せるようになったということが大きいのかもしれません。作っているかたの心境を聞けるようになり、それが楽しくなっていったという時期です。

枝:そっか。万理華さんがInstagramで発信する内容は、私が勝手にイメージしているアイドルのかたやアイドルをされていたかたのいわゆる「かわいい!」という内容とは違っていて「この写真はなんだろう?」というものです。ぶれている写真や変顔など、ファンは一体どんな気持ちで(見ている)・・・?と思っていて(笑)。

伊藤:あはは!確かに。


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写真上 伊藤万理華さん。


枝:私は、王道の路線からはみ出ていたり、若干外れているような人が好きなんです。万理華さんは、王道を求められれば全力で「かわいい」もされるので、そのギャップやズレが気になっていました。ただその状態も永遠に続くわけではないですよね。その外れたところも、また別の王道になっていく前の段階で撮りたいなって思っていました。会ったこともないのに、勝手に(笑)。


ーー曖昧なものを描こう、というテーマは先ほどおっしゃってくださっていましたが、伊藤さんを男の子として撮ろうというのはどこから生まれた発想でしたか?

枝:大きくふたつ理由があります。まず、単純に男の子を撮ってみたいという欲求がありました。2020年、仲野太賀さんとご一緒していたドラマ「あのコの夢を見たんです。」には原作があり、目指すところも明確にありましたが、自分で男の子を撮った時は一体どういうものが描けるのだろう、という思いです。

 それから直接的なきっかけになっているのは、ある友人との会話でした。今から2年くらい前かな、仲の良い男友達と意見交換をしている中で、一人の男の子が「自分の中にいる女の子が、その眼差しで女の子を好きだと思うズレに困っている、というコラムを読んで感動した。これは俺のことだと思った」というような話をし始めたんです。最初は意味が分からなくてぽかんとしていたのですが、掘り下げれば、それはまだ世の中に定義されていない気持ちについての話でした。

 例えば、彼の中の女の子が私を好きだと思う気持ちがあったとして、それは、男性として彼が恋愛的な意味で私を好きだと思っているわけでも、また男性の彼が女友達に対してそう思っているわけでもなく、明確に「俺の中の女の子が、女友達として好きだと思っている気持ちなんだ」と。
 この気持ちにはまだ名前がなく、また作品化もされていないので、彼は、その眼差しをどう説明したらいいか分からないと言っていました。その話を聞いている間に、私も「ああ、それって分かるかもしれない」と思ったんです。ここには、男女の友情は成立するか?という、よくある、あの答えが出ない議論の、新しい回答へのルートもあるかもしれないと思いました。自分の中にある男っぽい眼差しで男友達を見る感覚は、確かに私にもある。
 こういうまだ言語化されていない部分について、友達から「作品を作ってみてよ」と言われたのですが、その時は「分かるけど・・・無理です」と思っていて。ただ、その話自体はずっと頭の中に残っていて、考えていたんですね。そろそろ何か作品にできないかなと思っていた矢先、先程言ったようなタイミングが巡ってきて。では万理華さんで作品化しよう、と思いました。


ーー伊藤さんは演じられる際、「自分の中の男の子」を意識されていましたか?

伊藤:わかりやすく男の子でいなきゃ、という意識はなかったです。枝さんからも「あまり意識しすぎないで」と言われていたので、あえて声を低くしたりもしませんでした。これまでに演じてきた役の経験もありますし、この作品に関しては細かく説明を受けなくても理解できる状態で臨みたかったというのもありました。

『solitude ability』の撮影をしていた時期、私自身、この主人公とものすごく気持ちが重なっていたんです。気持ちが落ち込んでネガティブになっていて、「僕なんか」とずっと思っているような男の子と同じ心情。そういうネガティブな感情が、これほどまでに作品とぴったり重なったのが初めてのことで・・・。自分で上向きに気持ちを持っていって調子の良い状態を表現する、というのは、調整次第なので実は作りやすくはあるんです。ただ、この撮影の時は、そんなこともままならない状態だったところに、偶然にも自分の心情に合致する物語を枝さんからいただいた。

 撮影が終わった後、枝さんが「大丈夫か?生きてるか?」とLINEをくれましたよね。それが枝さんからの最初のLINE(笑)。何かを察してくださったのかなって思いました。


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枝:この作品では、あまり現場で万理華さんをディレクションしなかったんです。性格がこうでああで、と細かいことを言わなかったのは、やっぱり、万理華さん自身と主人公に元々リンクしているところがあったから。逆にあれこれ言ってしまうと、それをタスクとしてやってしまって本質から乖離してしまう可能性があると危惧していました。一方で、相手役の小野寺晃良さんはすり合わせていかなければいけない気がしたので、彼には色々なことを伝えていました。
 その「生きてるか?」LINEは、なんで送ったんだっけな。若干酔っ払ってはいたんですけれど・・・。

伊藤:ええっ、そうだったんですか(笑)。

枝:いやいや、あ、そうではあるんですけれど(笑)。ラインを交換した直後に、スタンプを適当に送ってくださいという流れ、ありますよね。その最初のスタンプが既読になっていなくて、それで「大丈夫かな」って心配になったんだ。


ーー当時の伊藤さん自身と物語が偶然にも一致し、導かれるようにして作品が生まれたということですが、「自分自身のネガティブな心情も表現になる」というのは、表現者にとっては肩の荷が一つ降りるような経験ではなかったですか?

伊藤:そうですね。この作品に関われたことによって、自分の負の感情がこういう風に出ることがあるんだって知ることができました。今回は、今までいただいた中で最も繊細な役。ちょっとした声色や表情ひとつで変わってしまうような役を演じた時に、ちゃんとそれを自分で調整できるようになりたいなとも思いました。なかなかそれは自分の性格的に難しくて・・・。私は、自分が自分に振り回されちゃうタイプなんです。ただ、枝さんなら、そんな部分も分かってくれるんじゃないかって勝手に、会ったこともなかったのに感じていました。そうしたらこんな作品をいただけて。

枝:これまで万理華さんの出演作を見ながら感じていたのは、個人で発信しているものと、出演しているものとでは印象が違うな、ということでした。作品内ではすごくギアを上げているような、言うならば両頬を叩き「よっしゃ!」って気合を入れながらやっているような。この気合いを、一度すべて吸い取ってみたらどんな表現が生まれるのかな?と思っていました。実は本質はそこにあるのではないかな、と。それで実際に会ってみたら目も合わないですし、「この人は私と同じだ」って思いました(笑)。

伊藤:あはは。


ーー監督としては、演じるかたの今までにない像を引き出そうという気持ちは当然持ち得るものかなと思いつつ、それは置いておいたとしても、演じるということにはその人の本質部分が滲むべきだと思っていらっしゃるということでしょうか?

枝:そうです。今回、私は逆キャスティングの形で作品を作っていますが、基本的に、いつも脚本は当て書き(※その役を演じる俳優をあらかじめ決めてから脚本を書くこと)をしています。人は外見にだって自ずと内面が現れるものですよね。例えば可愛くありたいと思っているなら、見た目にもそういう部分が滲むはず。私は、そんな風にどうしても表出してしまうような人の内部に興味があります。なのでメインキャストはその部分に近しいところへテーマを寄せてみたり、ご本人の特性を生かそうとしたりします。そのかたが持っている本質を探る感じでしょうか・・・。「本質部分」をずっとやっていたかたが殻を破り、実はこっちも本質だった、みたいなものを見つける楽しみもありますね。ただ私自身は、本質部分にすごく近いところで作品を作ってみた結果、役とご本人が一体化してしまった、というものが好きです。
 
 それは、私が「一緒に作品を作っている」感覚が強いからだと思います。もちろん色んなタイプの監督がいらして、頭の中に完璧に出来上がった像を作るため、駒を配置するように俳優部含め多くのスタッフを率いて素晴らしい作品を作るかたもいる。私の場合そうではなく、この人とどう作ろう、という部分が大きいんですね。自分の中では6〜70%くらいしか決まっていなくて、演者がその6〜70%を引き受け、200%にできるようバッファを作って書いている気がします。

伊藤:私自身、乃木坂46時代の個人MVは、そういうタイプの監督とばかりご一緒していたんです。作り手のかたと近い距離感で話し合い、自分のことを理解してもらった上で作品を一緒に作っていました。それで自分としてもしっくりくるような映像が生まれていたので、その経験を理想として、どうしても求めている部分があります。
 ただ、グループを離れて役者としてやっていく以上は、まず自分のことを知ってもらうために作品に出ていかなければいけないですよね。そうして知らない<畑>に出た時、当然ですが、必ずしも自分が理想とするような方法で作品作りは進みません。そこから学ぶことは本当に多いので修行のような気持ちがありつつ、一方では作品と気持ちが一致しない時もあり、苦しんだ部分もあります。
 今回は偶然にも、私が理想の制作方法をとる枝さんに監督をお願いできました。「知ろうとしてくれる人の存在」は、Karin.さん然り、私にとっては本当に心の安定につながるんです。そういうかたがたと作品を作ることによって、私は気持ちを保っています。

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ーー『solitude ability』では、同級生の男の子に焦がれる男の子を伊藤さんが演じていましたが、自分自身の内面と、外側である社会とのギャップに悩みを抱くという状況は、違う形であったとしても経験としてあり得るものではないか、と今の伊藤さんのお話を伺いながら思いました。人物の背景などの詳細はこの映像だけでは分かりませんが、男の子が男の子に焦がれるという物語を描き、枝さんの中には、今どんな思いがありますか?

枝:同性に対する恋愛の話を、他の気持ちや現象にも敷衍できるかといえば、それは難しい問題だと思います。私自身、現在はシスヘテロの女性なので、この作品に関しても男性同士の恋愛を書きましたとは言えないんです。当事者性という意味では、理解できていないだろうとすら思っています。この作品ではゲイを描きたかったわけではなく、自分が分からないということに対して、誠実に落とし込んだ作品を作りたい気持ちが大きかった。
「分からない」というのは、私自身もこれから先、誰をどんな眼差しで愛するか分からないということです。実際、それまで男性の恋人がいたシス女性から「女の子に告白され、少し考えてみたけど付き合い始めた」と言われたことがありました。その子は「自分自身、同性が好きか異性が好きかがいまだに曖昧だけど、その人を好きだと思ったから良いと思った」と言っていました。白黒はっきりさせたり、カテゴライズしたりすることは、皆が生きやすくなる上でもちろん必要。ですが、何でもそうすることによって傷つく人が生まれてしまうことや対立が生じることをどうしたら良いのだろう・・・とも思っているんです。


ーー現実に立脚した優れた物語が、救いにも毒にもなる一つには、価値基準を増やせること・・・「これもありなんだよ」や「あなたは一人じゃない」といったことを言える部分にあると思っています。『solitude ability』にはそんな物語の力を込めているのではないでしょうか?私自身は呼吸がしやすくなった感覚がありました。

枝:「アイドルだから」「ミュージシャンだから」「俳優だから」「監督だから」という、外側から人を枠にはめるような類のカテゴライズは、その人自身が持つ内面とのギャップが生まれやすく、苦しみの種になりやすいんですよね。それは周囲を見ていても自分ごととしても本当にあることで・・・。実生活では「女だから」「若い男だから」などということでくくられ、その枠のイメージで見られて苦しくなってしまうこともある。そうした外から決めつけられてしまう枠に対して、どうしたら良いのだろうという思いがあって『solitude ability』も作っていました。

伊藤:私自身のことで言えば、そういった外側からの枠ではなく、フラットに自分を見ていただけたと感じた時「ああ理解してもらえたのかな」と思います。理解というのは、今までの活動を知っているとかそういうことではないんですよね。役者として現場にいると、作品を良くするために「理解」しようとしてもらえているのか、あるいは自分がただの駒であるのかというのは、結構敏感に感じ取るものですし、気にもする。枝さんやKarin.さんとの出会いのように、救いの手がやってきたなと思う時間は、どうしても稀有です。
 先程、話の中で「『solitude ability』で演じた主人公の苦しみと、自分自身の苦しみがリンクしていた」と言いましたが、実際に現場にいて表現している時間は本当に楽しかったんです。いつか「もう役者をやりたくない」と、そんな風に思ってしまう時期がくるのかもしれない。でも今回のように本当の意味で理解してくれる人達と出会えた経験があれば、またやっていけるとも思っています。それを私は繰り返していくのかもしれません。


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ーーありがとうございます。最後に、お二人がそれぞれ作り手と演じ手として物語を作ることにどんな可能性を感じ、希望を込めているかを聞かせてください。今は様々な方法で物語に触れられ、さらに映画館で観られる作品に『14歳の栞』のようなリアリティものが多くの支持を集める状況もありますね。

枝:映画館でフィクションを観た時、自分の中に湧き起こる「これは映画館で観なくて良かった」「これは映画館で観て良かった」「これは映画だ!」などというジャッジの基準はどこにあるのだろう、とよく思います。

・・・現実って辛いですよね。フィクションの世界よりも現実の方が、よほど理解不能なことや不条理なことが起こりますし、日々ニュースで見る事件はとうてい自分の理解が及ばない。よほど現実の世界のほうが辛いからこそ、救いを求めて物語にお金を払うかたがいるのだと思いますし、自分もそうです。作り手としては、そういうかたがたが日常から切り離されたものを見られるようにーーそれは辛さでも幸福感でもーー日常では経験しえない「何か」を、作品からお土産のように持ち帰ってもらえたらと思っています。
 だからといって、現実では見られない過激な作品や、地上波では流せない作品をネット配信で作りますよ、ということではなくて。もっともっと解像度の高いことをしなければいけない、ということです。まだこの世には語られていない様々な種類の気持ちがあるはずで、そこを解像度を上げながら描いていくということ。そうして、作り手が信念を持って描きたい世界を描き切った物語が、観ている人の現実を救ってくれるものになると思っています。
 そのために、まずは自分自身を救える作品を作ることですよね。『solitude ability』も、誰かのために作っているということでは、正直なくって。曖昧で分からなくて怖いなと思う自分や、日々ゆらいでいる自分をひっくるめて、まず肯定したかったというのがありました。
 それは、私自身が受け手として作品に触れた時、社会が求めていることのためにとか、みんなのためにとか、目先の利益のために・・・などの理由で作られていて、作り手の血が通っていないものを見るとすごく冷めてしまうことが大きい。解像度の低さは観ている人に伝わります。そして解像度の低い物語が巷にあふれれば、皆の興味がリアリティショーに流れていくという現象も当然のことだろうなって。リアルなものが人々の胸を打つという状況は、フィクションの解像度が足りていないからだろうと思っています。

伊藤:解像度という言葉について、今、すごく考えてしまいました。役者は、常にプロとして与えられた役柄のテンションに合わせていくことを、現場で求められていると思うんです。

枝:もうアスリートだよね。

伊藤:はい。私は役者1本でやってこられているかたを心から尊敬しています。果たして自分はどうなのかと考えた時、なぜ、私は役者のお仕事しかしないという選択ができないんだろう?と思いました。なぜ、一回「あ・・」と引いちゃうのか。
 それは私自身、自分がゼロから作るということもしていかないと、自分というものが無くなってしまう気がして、生きていけないからなんです。役をいただいた時、その役を自分自身に少しでも手繰り寄せないと、作品の解像度が低くなってしまうというのは、本当にあることです。そのために、まず私には自分というものの核がないといけなくて、それがゼロからものを作ったり、考えたりする時間から生み出されていると思っています。
 よく、お芝居に携わっていない視聴者のかたが映画やドラマを観て、役者を「上手い、下手」と言って評価しますよね。私、それは正しいジャッジだと思っているんです。言い換えれば、解像度の高さや低さが伝わっているということなのかなって。ちょっとでもこちらの気持ちが入っていなければ、それが全て映ってしまうのが映像というもの。そう実感した時に、私はもっと技術的にお芝居が上手くなりたいというよりは、どうしたら自分自身すらも、自分が演じた役に感情移入して感動できるのかということを探っていきたいと思っています。
 映像に限らず、ものづくりは人間同士が様々な制約もある中でやっていくことで、本当に大変なこと。けれどそれ以外、他に私はやれることがないような気もしているんです。もしも将来、役者の仕事がぱったりなくなってしまったとしても、自分自身の中に溜まっている気持ちや伝えたいことがあれば、私は、信頼できる人と一緒に何か新しいものを作り出したい、表現したい、と感じるのだろうと思っています。また、枝さんともご一緒できればうれしいです。


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Yuuka Eda ● 1994年生まれ、群馬県出身。大学時代から映画制作に従事し、監督作『さよならスピカ』(2013年)が第26回早稲田映画まつり観客賞、審査員特別賞を受賞。翌年の第27回では『美味しく、腐る』(’14年)が観客賞に輝く。穂志もえかとモトーラ世理奈を主演に迎えた監督作『少女邂逅』(’17年)がロングランヒットとなり、’19年、日本映画批評家大賞新人監督賞を受賞。2020年にはドラマ「あのコの夢を見たんです。」の監督を手がける。作品に、ドラマ「放課後ソーダ日和」、オムニバス映画『21世紀の女の子』の「恋愛乾燥剤」、ドラマ「スイーツ食って何が悪い!」。MVも数多く手掛ける。
着用衣装:ユニセックスワンピース¥68,200 ミカゲシン / イアカフ¥15,070 クリティカルラボ(PR01.TOKYO) / その他スタッフ私物


Marika Itoh ● 1996年大阪府生まれ、神奈川県出身。幼少期からクラシックバレエを習い、中学生の頃に芸能活動を開始。2011年、乃木坂46の1期生オーディションに合格しメンバーとして活躍。’17年に初の個展『伊藤万理華の脳内博覧会』を開催し、乃木坂46を卒業。’18年2月、1st写真集『エトランゼ』を発売。映画『映画 賭ケグルイ』や、テレビドラマ「潤一」、舞台『月刊「根本宗子」第17号「今、出来る、精一杯。」』『月刊「根本宗子」第18号「もっと大いなる愛へ」』、LINE VISION「私たちも伊藤万理華ですが。」(アベラヒデノブ監督)などに出演。2021年5月16日(日)より上演の舞台『M&Oplaysプロデュース「DOORS」』(作・演出:倉持裕)に出演。また、待機作に、8月公開予定の映画『サマーフィルムにのって』(松本壮史監督)がある。
着用衣装:ユニセックスのラップブラウス¥38,500、トレンチコート風のデザインを施したスカート、イアカフ 各¥34,100 ミカゲシン / スニーカー¥31,900 ミキオサカベ / ソックス スタッフ私物


問合せ先:
ミカゲシン:info@mikageshin.com
PR01 TOKYO:TEL 03-5774-1408
ミキオサカベ:TEL 03-6279-2898