1940年代
第2次世界大戦の影響を受けたミニマルなスーツ
1939年の第二次世界大戦開戦により物資不足に。贅沢なファッションは禁じられ、男物の飾り気のない生地を使用し、分量を抑えるため、よけいな装飾も省かれ、スカート丈は短くなった。モードからファンタジーが失われ、ユーティリティだけが抽出されたデザインに染まった’40年代は、平和こそがモードの栄養分であることを教えてくれる。
1940年代後半のイギリスのスーツ(文化学園服飾博物館所蔵)
1947年
女性のエレガンスが復活!
クリスチャン・ディオールのニュールック
戦後間もない1947年、モード史に燦然と輝くエポックメイキングなスタイルが登場する。クリスチャン・ディオールが初コレクションで発表した、ウエストをタイトに絞ったバージャケットと細かなプリーツをまとわせたスカートのコロールラインは、戦争の悲惨さがまだ残る中に新時代の到来を予感させ、アメリカのメディアにより“ニュールック”と呼称された。
『装苑』1948年12月号に掲載されたコーディネート指南のページ。この年、文化服装学院の連鎖校も全国に開校し、ファッション界にも華やかさが戻ってきた。
1950-1960年代
今もなお永遠の憧れ。
ガブリエル・シャネルのスーツ
’20〜’30年代に革新的な女性解放のモードを発明したガブリエル・シャネルが、1954年にオートクチュール界にカムバック。当時の潮流にあらがい、エレガンスの中に実用性を盛り込んだアイテムを発表した。特徴のあるツイード生地に直線的なラインを持つ、モダンにブラッシュアップされたシャネルのスーツだ。今なおメゾンのシグネチャーであり、永遠の憧れの的でもある。
1950-1960年代
名クチュリエがそろった黄金時代
ディオールを筆頭に、バレンシアガ、ファット、ジバンシィ、サンローランといった、超一流のクチュリエたちが芸術家ともいえる姿勢で造形を追求し、切磋琢磨していた’50年代。ディオールが毎シーズン発表するH、A、Yといった様々なラインが当時の流行をリードし、エレガンスは頂点へと達する。1957年にディオールが急死。再びモード界の潮流が変わる。
「クチュリエの中のクチュリエ」とガブリエル・シャネルも称したクリストバル・バレンシアガ。想像力と造形力を伴う完璧な作品は、後世に多大な影響を与えた。1952年のバレンシアガのカクテルドレス(文化学園服飾博物館所蔵)
文化学園がディオール一行を招聘しファッションショーを開催したことで、日本でディオール旋風が巻き起こる。『装苑』1954年5月号では、懇意にしていたクリスチャン・ディオールから読者へのメッセージとともに、同年2月に発表したコレクション写真を掲載。
ディオール亡き後、21歳でメゾンを継いだイヴ・サンローランのトラペーズライン。若きクリエイターの感性は、’60年代に芽吹く若者の時代の到来を予見していたかのよう。1958年春夏のディオールのドレス(文化学園服飾博物館所蔵)
クチュリエと女優の組み合わせもこの時代の特徴。オードリー・ヘップバーンの衣装を数多く手がけたユベール・ド・ジバンシィのドレスは、今見ても色づかいやシルエットが現代的。1965年ジバンシィのドレス(文化学園服飾博物館所蔵)
1960年代
ストリートの流行がモードにも影響
マリー・クワントから始まったミニの時代!
’20年代のフラッパーしかり、モード史にはたびたびオートクチュールより先に、若者の装いが風靡する時代がある。’60年代でも、若者がリードしオートクチュール界が追いかけるという図式が見られた。その革命の一つとして挙げられるのが、ロンドンのデザイナー、マリー・クワントが引き金ともいわれるミニスタイル。
『装苑』1968年10月号に掲載された、マリー・クワントのファッションシュート。スウィンギング・ロンドンとも、ユースクエイクとも称された’60年代ロンドンのストリートの勢いが感じられる。
1965年
アートとモードの融合!
イヴ・サンローランのモンドリアンルック
かつてスキャパレリがシュールレアリスムを取り入れたように、独立後、イヴ・サンローランもピエト・モンドリアンの絵画を落とし込んだモンドリアンルックを発表した。ディオールでは認められなかった彼の自由な発想は若者たちに受け入れられ、1966年には若者の街に「イヴ・サンローラン・リヴ・ゴーシュ」を開店。プレタポルテの世界でも成功を収めた。
1960年代
カジュアルからフォーマルの世界へ!
クレージュのパンタロン
オートクチュールでいち早くミニドレスを発表し、宇宙ルックなど近未来的な衣装で注目を浴びたアンドレ・クレージュ。中でもモード界に賛否両論をもたらしたのは、男性用のコピーではなく女性のためにあつらえたパンタロンだった。当時ストリートでは普及していたパンタロンがモードのお墨つきを与えられ、上流階級にも広まっていくきっかけとなった。
『装苑』1966年2月号に掲載された、服飾評論家の鯨岡阿美子による「パンタロン革命」論。パリのナイトクラブ「リド」でのパンタロンパーティに始まり、パンツがカジュアルな装いからオートクチュール界へ進出する様子をつづる。原稿は女性の自己改革に絡めて締めくくられた。
1960年代
近未来を予感?!
斬新な素材に着目したスペースエイジ
1961年、ガガーリンが初の宇宙船有人飛行に成功し、1969年にアポロ11号が月面着陸を果たすなど、人類の生存域拡大を試みた宇宙開発競争の真っただ中、モード界にもスペースエイジが到来。SF映画の登場人物のようなメタル素材を用いたパコ・ラバンヌは、針と糸と布を使用しなくても、みごとにファッションとして成立するドレスを制作した。
コスモコールルックの提唱者ピエール・カルダンのミニドレス。柄とビニール素材のミックス感が近未来的。1969年のピエール・カルダンのドレス(文化学園服飾博物館所蔵)
銀の箔押しを施した革を使用し、脚部には銀のラメ糸が織り込まれた伸縮性のある生地が使われている。1968年頃のピエール・カルダンのブーツ(文化学園服飾博物館所蔵)
\文化学園の歩み/
――1940年
―道徳規範、3か条の黌訓を制定 1.互尊礼譲 1.滅私尽務 1.創造進新
――1945年
―東京大空襲により、校舎・寄宿舎・備品などがすべて焼失
―終戦
――1946年
―復興後初の第一校舎が完成
―『装苑』復刊第1号を発行
―日本国憲法公布
第二次世界大戦により1941年に一時休刊を余儀なくされていたが、終戦を迎え、学園の復興とともに1946年に復刊し、再びファッションの専門誌としてスタートを切った。
――1947年
―「文化服装学院連鎖校」制度を創設
―教育基本法、学校教育法公布
――1948年
―全国各地に「文化服装学院連鎖校」開校
――1950年
―「文化女子短期大学」が開学
――1951年
―「学校法人並木学園」に組織改定
―文化服装学院に「デザイン科」を設置
ーナイロンの製造技術導入
――1952年
―文化服装学院がファッションショーの全国巡回を開始
――1953年
ニュールックを発表し、モード界を牽引していたディオール一行を日本に招聘し、東京会館のローズルーム(写真左)や学院講堂(右上)ほか、名古屋、京都、大阪にて80点以上の作品を用いたショーを開催。モデル・裁断係・着付係など12名が日本を訪れた。
―文化服装学院に日本初の「ファッション・モデル養成科」を設置
―フランスのクリスチャン・ディオール一行を招聘。全国各地でファッションショーを開催
―NHKテレビの本放送開始
―ディオール旋風
――1954年
―アメリカのハワード・グリア一行を招聘。全国各地でファッションショーを開催
―戦後初の地下鉄開通
――1955年
地上9階、地下1階からなる高層の円型校舎は、当時の新宿で一番高い建築物として名物に。一目見ようと観光バスも立ち寄ったとか。
―日本建築界初の高層「円型校舎」が完成
――1956年
―ファッションデザイナーへの登竜門「装苑賞」を創設
――1957年
―文化服装学院に開校以来初の男子学生が入学。「文化服装学院通信教育部」を開講
――1958年
当時、新進気鋭のデザイナーとして注目されていたピエール・カルダンを招。本場フランス仕込みの立体裁断のテクニックを惜しげもなく披露し、最新コレクションのショーも学院講堂にて開催された。
―フランスのピエール・カルダンが来校。ファッションショーと技術講習会を開催
―東京タワー完工
――1960年
10代から40代まで50万人以上の読者を抱えるポピュラーな『装苑』よりも、さらに専門性の高い雑誌が求められ『ハイファッション』が誕生した。海外進出も視野に、欧文のキャプションも併記された。値段は360YEN/1$と表記されている。
―第1回服飾研究視察団が渡欧米する
―『装苑』の姉妹誌『ハイファッション』を創刊
―カラーテレビの本放送開始
――1961年
再来日を果たし、文化服装学院の名誉教授に就任したピエール・カルダン。その名を冠した「カルダン賞」が『ハイファッション』に創設された。装苑賞とは違い、プロ・アマ問わず応募可能だった。
―婦人誌『ミセス』を創刊
―『ハイファッション』にカルダン賞を創設
―ガガーリン、ソ連宇宙船ポストーク1号にて地球1周有人飛行に成功
――1962年
―連鎖校を韓国、香港、シンガポール、マレーシア、タイに設置
――1964年
文化学園の職員・学生・連鎖校の代表者など総勢131名が、22日間にわたり欧州各地を回る研修旅行を実地。カルダンやシャネルのショーに招待され、フランス、イタリア、ドイツなどを巡り、西洋の歴史や文化に触れる機会を得た。以後、ヨーロッパ研修旅行として慣例化される。
―第1回欧州服飾研修旅行開催
日本の服装研究の発展のため、文化女子大学(現・文化学園大学)が開学し、「家政学部服装学科」を設置する。
―「文化女子大学」が開学
―第18回東京オリンピック開催
――1966年
―文化服装学院名誉教授ピエール・カルダン来校。学院講堂でファッションショーを開催
―フランス・パリに「装苑パリ支局」開設
―ザ・ビートルズ来日
――1969年
―「文化女子大学室蘭短期大学」が開学。「文化女子大学図書館」が落成
―英国政府共催による「英国フェア・ファッションショー」を開催
―アポロ11号、人類初の月面着陸
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