interview & text: Mizuki Kanno
奇跡の一枚ではなく、思い描いた一枚を撮るために
澤田 空海理(以下、澤田):僕のアルバム『振り返って』のジャケットを枝さんに撮影していただいたのが二年前で、SNSではやりとりしていましたが、直接お会いするのはそれ以来ですね。枝さんが撮る映像や写真が好きで、自分にとって「ここぞ!」というタイミングでご一緒したいと思っていたんです。『振り返って』は、まさにそんな作品だったので、あのときは、勇気を出してお声がけさせていただきました。
枝優花(以下、枝):オファーをいただくときって「こういうことがやりたいんです」という明確なビジョンを持った方と、「枝さんだから撮ってほしいんです」っておっしゃってくださる方がいて。澤田さんは後者だったので、まずは作品を拝聴して、自分を通して、どう表現するかを考えるところからはじめました。大丈夫でした?(笑)
澤田:枝さんのフィルターを通して見えたもの、僕はそれを信頼していましたし、実際に間違いなかったです。ありがとうございました。枝さんの撮影は、奇跡の一発を狙うというよりは、自分が思い描いているものを忠実に再現するといった印象があります。ちょっとした頭の傾きや視線の動きなど、動作ひとつ一つに指示を出していますよね。今日の撮影でも、枝さんが見ている先が、見えたような気がしました。
枝:最近、自分が携わった仕事で、自分の考えを否定されたり、思ったように動けないことがあって、落ち込むことがあったんです。でもその出来事を通して普段自分がどんなところを大切にしているのか、気付くきっかけになったので、結果的に良かったんですけどね。私は、例えば、相手を心配して何かセリフを投げかけている時の表情よりも、その前後の表情を大切にしていて。そこにその人間の本質が現れているんじゃないかなと思うんです。不安そうな相手に対して、かける言葉を考えているときの顔、その言葉によって相手の心がほぐれたことを察したときの表情。言葉を放つ前の逡巡している間合いや、目の前に起こった出来事を受け止め、思考している瞬間に、その人間のすべてが映る。それは嘘をつけない本質の時間だと思います。私はその絵を撮りたい。それが明確になったので、ビジョンの作り方もはっきりしてきたなと思います。
クリエイターとしての本音と建前
枝:多くのミュージシャンは、自分自身の感情を曲に吐露するから、作品が人柄と直結しているイメージがあって、澤田さんの作品を聴いたときは、お手紙みたいな曲を書く方だなと思いました。極めて個人的なことが描かれているから、全世界の人に刺さるわけではないけど、誰かの心に強く影響を与える。
澤田:僕は枝さんにお会いする前は、ちょっと怖いなと思っていた部分が、実はあって。『少女邂逅』(2018年に公開された枝さんの初監督作品)で描かれている世界って、男っぽい環境で育った僕にとって、初めて見る景色ばかりで。セリフの意味や、何を伝えようとしているのかは分かるんですけど、理解ができていなくて。言葉の輪郭が見えているだけで、本質が捉えられない状態。枝さんはその部分を理解している方だから、僕の話は通じないかもしれない、僕が持っている言葉の選択肢や発想の手札を増やさないと、そもそも対等にお話しできないんじゃないかと思っていました。でも実際にお会いしたら、すごく話が通じる方で(笑)。枝さんはよく、DMで来たお悩みに対して、丁寧にお返事をされていて。「あなたはこういう人なのね、でもそれも私の憶測でしかないけど」って配慮した上で、「私はこう思う。だけどこれが全てではない」ってお返事をされているんです。
枝:分析されてる(笑)。
澤田:これって枝さんの本質にある人間的魅力だよなって思うんです。枝さんが映像を撮るクリエイターだからじゃなくて、本来の枝さん自身の魅力。それが詰まった方だなと思いました。
枝:私も『少女邂逅』は全世界に向けてと言うより、誰かに刺さることを目指して作ったので、澤田さんとは近しいところがあると思います。だからこそ、作品に共感してくれた方は「どうしてこの人、私のこと分かってくれたんだろう」って思うから、「この悩みも分かってもらえるんじゃないか」と私に期待を寄せたくなるんでしょうね。澤田さんに対しても、そう思っている人は多いはず。
澤田:僕は無意識のうちに、「自分はクリエイターなんだ」って踏み台を上がっているときがあって。でも枝さんは、その踏み台から下りて、きちんと人と向き合っていて、素敵だなと思います。自分のクリエイティブでみんなを引っ張って行くっていうのは、理想ではありますけど、それをやろうとすると、どこかで嘘をつかなきゃいけないし、身の丈以上の力を使わなきゃいけない。その後、ものすごく虚しくなるんです。なので、僕が泣きながら歩いていたら、同じように悲しい思いを抱いている人が、一緒に歩いてくれるような存在でいたい。それが本音ですね。
自分のクリエイティブとの向き合い方
澤田:ご自身で脚本も書く枝さん的に、原作がある作品と向き合うときって、どんな感覚なんですか?
枝:よく「新作を撮ってほしい」って言われるんですけど、映画は自分が一番やりたいことだからこそ、最高の状態で臨みたくて。この5年くらいは、修行期間だったんです。人が書いた脚本でやってみたり、プロデューサーからお勧めされたカメラマンと組んでみたり。人の船の乗組員になって、全部経験して、失敗して、自分のベストなやり方を見つけるための挑戦です。でも、全てを修行だと割り切れるほど器用ではないし、全力で愛せる作品を作りたいので、自分の信念に近しいものがある作品はお受けして、その上で、自分らしく表現できるポイントを大切にしていました。実は先月、ちょうど修行を終えて、いまは、自分のオリジナル作品と向き合い始めたところなんです。
澤田:めっちゃめちゃ楽しみですね。僕は職業作家として、他のミュージシャンの作品に参加することもありますが、そっちはもう割り切れています。徹頭徹尾、そのコンテンツのためにやるときがあってもいいと思っていて、それが職業作家のあるべき姿だと僕は思うんですよね。歌詞に自分の色を残すことが、作家性なのかもしれないけど、職業作家が自分の色を出すのはエゴだと思うので、技術面にだけそれが残せればいいかなって。
枝:確かに、ミュージックビデオの制作は、完全にそうですね。この作品が輝くために、自分には何ができるのかを大切にしている。でもそっちの方が楽なんだよね〜(笑)。自分の映画になると、私が何をしたいのかが一番大切だから、自分がやりたいことを磨いて、人に理解してもらって、理解されなくても我を貫き通す辛さ。ちょっと気を狂わせないとできないですね(笑)。誰かのためにやっている方が楽。
澤田:大義名分がある方がね。
枝:脚本を書いているときも、撮影しているときも、ずっとぐるぐるぐるぐる悩んでいて。公開後に、自分では想像もしていなかった周りからの感想を聞いたときに、人の手に渡ったんだなと思うんですよね。そこで次の作品に気持ちが行ける。ドラマも放送されて、いろんな考察をされているのを見て、ようやく一区切り。放送までは、自分の子供を誰にも傷つけられたくない、みたいな気持ちがあるんです(笑)。
澤田:僕は逆に割り切っていて、出したものが全てで、もはや感想すら正直いらない。ずっと自分の子供のままなのかも。だから、周りの感想を聞いても、「それはあなたの解釈であって、それでもいいけど、正解は僕が持っている」っていう感覚なんです…。傲慢なのかな(笑)。
枝: いやいや(笑)。確かにその感覚もわかります。