やってる人が、勝つ。
蜷川:キディルのポリシーには、「自分のことを信じて自分のやりたいようにやる」っていうのがあるでしょ?それにすごく共感します。
小さい頃、父親に新宿の雑踏に連れて行かれて、ある道を見せられたことがあったんです。その道はふた手に分かれていて、片方の道は混雑し、もう片方の道には人がまったくいなかった。それを見ながら父が、「人が誰もいない道でも、自分が正しいと信じたなら、たった一人でもその道を歩けるような人間になってほしい」と言ったんです。4〜5歳の私に(笑)。
だから、そりゃ私はキディルが好きなわけだと思ったんですよ。幼少期にドンっと受け取っちゃった自分の核にあるような部分と、末安さんがものをつくっている時に大切にされていることがすごく近いから。
末安:人と同じ道を歩んでも「それなり」のものにしかならないですから、そこはすごく意識している部分ですね。ファッションなのでシーズンごとのトレンドもあるんだけど、そこには寄せない。自分だけの色を出すために試行錯誤してつくっている感覚があります。
実花さんを見て僕が思うのは、「やってる人が勝つ」ということ。
蜷川:(笑)。
末安:展示をして、映画を作って、インスタを見ると海外にいて……と、表に出ているものを見るだけでも、止まってることがないじゃないですか。だから、自分がやるべきことを止まらずに続けている人は、強いし魅力的だなと思っちゃうんですよね。自分もそうなりたいです。
蜷川:昨日も、どうしても画材を買って新しいことをやってみたくなっちゃって、アシスタントに「ごめん、お願いだから画材屋さんに寄って!」って頼んで行って、ぱんぱんに材料が入った紙袋を両手いっぱいに持って帰ってきたところ(笑)。
――その日は『装苑』の連載の撮影だったのに(笑)。本当に止まらないんですね。
蜷川:そうなんです(笑)。撮影の後に材料を買って、「TOKYO NODE」に設営しに来て、夜中に作業をしたかったけどさすがにできなかったから、今、もうやりたくてうずうずしてる!
末安:初めて事務所にうかがわせていただいた時 、作業場みたいなところで何人かが集中して何かをつくってましたよね?
蜷川:やってました!みんなうちの事務所に来てびっくりするんですよね。女の子ばっかりでアナログな手作業をしてるから。
あと知らない人から見ると、私は人に「これとそれとこれ、やっといて」みたいな指示だけ出している人のように見えるみたいなのですが、全然そんなことはなくて、むしろ「必勝」って書いてあるねじりハチマキ巻いて毎日やってる感じで。それか「全国制覇」(笑)。
末安:そんな泥臭いふうには全然見えないですからね(笑)。こんなふうにコツコツつくっていらっしゃるんだ!って感動しました。
――さっき末安さんがおっしゃっていた『蜷川実花展 -虚構と現実の間に-』(2018〜2021年)なのですが、各地を巡回した展覧会の集大成「上野の森美術館」の開催時がコロナ禍で、日常生活の楽しさや美しさを感じることが難しい時勢に、前向きのパワーをもらえるような内容でしたよね。’22年は「東京都庭園美術館」で『瞬く光の庭』を開催し、その展示では優しく包み込むような光と色の世界が印象的でした。近年の展覧会で見せていた主題が、今回の展示ではどう深まり、進化したのでしょうか?
『蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠』より
蜷川:怒り倒していた数10年間の総括が、2021年に上野の森美術館で見せた『蜷川実花展 -虚構と現実の間に-』。だから展示は「それまでの全部出し」と、「これからの少し」みたいな内容になっていました。翌年に東京都庭園美術館でやった『瞬く光の庭』では、怒りが全部ろ過されたような清らかな気持ちで、日常の中の希望に全振りしたんですよね。その両方をやったことで、やっと新しい時代に入ったなっていうのは、日々思います。
今回の展覧会では、これからの自分のスタンダードをつかみたいんです。 都市も花もこれまで撮っていたモチーフですが、その表現方法が全部新しい。今回、実は写真を写真として見せているところがないんです。自分の中の変わらないものは変わらないのですが、「ずっと進化していたい病」というか。今回は、とにかくありとあらゆる好奇心と、自分の中の先を見たい欲望が全面的に出た展覧会だと思っています。 新しい自分のスタンダードをどこに置くかを考えながら作っていました。
制作スタイルもこれまでとは違い、グループで作っています。私のやりたいことを叶えるためのチームではなく、チーム内で皆が対等に並び、話し合って、時には文句も言いながらものをつくるという今回の制作方法が、新しいところに行くためには必要で、何より心地いいんです。
ブランドコラボレーションでも、皆さんに「どれでも好きな写真を選んでください!」 と言っていて、聞かれたことに対しては答えるけれど「お任せします」というスタンス。そういう、好きな人達とものをつくる面白さを感じている部分が、最も新しいところかもしれません。
『蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠』より
末安:面白いです。さっき、実花さんが「孤独」という言葉を使われていましたけど、ものをつくるって孤独にならざるを得ない時があるんですよね。実花さんほど有名な方なら周りにたくさんの人がいらっしゃると思いますが、最終的に判断するのは、自分しかいないですから。ただ、僕の場合は孤独を大切にしています。孤独と向き合うことで自分らしいクリエーションに辿り着きますから。
『蜷川実花展 Eternity in a Moment 瞬きの中の永遠』より
――今回の展示では、空間を覆う作品群に没入することで圧倒的なリアリティを感じたのですが、仮想現実ではなし得ない「リアル」にこだわってつくられた部分もありますか?
蜷川:ありますね。展覧会のプランを練っている段階で、CGの蝶々を入れるアイデアが出たこともあったのですが、結局やめました。
今は現実の世界がどんどんしんどくなっていて、ニュースを見るのも心が痛くなるような時代ですよね。でも、ふと自分の周囲を見渡してみれば、世界は美しいって思うわけです。自然のお花ももちろん美しいけれど、造花も美しいし、諸悪の根源のように言われている都市も瞬いて、呼吸をしているように見える。すると人の営み自体、そんなに悪いことだけではないとも思えてきます。私は、桜並木にしろ花畑にしろ、基本的に人の手が入った自然の景色を撮影するのですが、そうすると、人と自然が共に生きていく美しさを感じるんです。
なので、実際にある風景を撮影したものだけを出す、ということに今回こだわっていました。海外で撮影したものも多少入っていますが、コロナ禍で制作してきたので、日本国内の風景が8〜9割。誰でも簡単にアクセスできる風景ですし、「TOKYO NODE」から撮った景色も入っています。 ほんのちょっと自分が変わり、見る角度が違うだけで物事が違うように見えてくるというのは、今回伝えたい部分です。
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