
デザイナー神谷康司さん
―― こちらのKAMIYAのショップ「THE PHARCYDE」はオープンしてどのくらいですか?
もうすぐ 4 年目になります。このお店のことを語り出したら、もう止まらないですよ。古い木造の一軒家を自分たちの手で改築した思い入れのある場所です。KAMIYAの前身でもあるMYne時代から店内にあったショップ名のモザイクタイルの看板も、タイルを一つひとつ自分たちで貼って作ったんですよ。

自分たちで作ったモザイクタイルの看板
―― そもそも、神谷さんが服に興味を持ったきっかけは何だったのでしょうか。
高校生ぐらいから、なんとなく周りの目を気にし始めたのがきっかけです。当時はサッカー部だったので常にジャージ姿でしたが、その頃から洋楽を聴き始めたり、いろいろなものに興味を持ち出したりして、自然と服も好きになっていきました。

―― 当時はどのような服に興味があったのですか?
僕は今年31歳になりますが、当時はブランドのアーカイブが主流になりつつある時期でした。でも僕は基本的には古着が好きで、地元の名古屋や、機会があれば東京・原宿の古着屋にも通っていました。高校卒業後に大阪の大学へ進学してからは、古着屋にのめり込みましたね。最初は予算もなかったのでレギュラー古着を組み合わせていましたが、そのうちモード寄りの古着屋を見つけて通い詰めるようになり、結果的にそこで働くことになったんです。ヨウジヤマモト、コム デ ギャルソン、ラフ・シモンズ、マルタン・マルジェラなどのブランドに触れたことで、今のKAMIYAのM I X感が生まれました。
―― まさに今の神谷さんの原点ですね。
ベースはアメカジですが、当時のお店で尊敬する人に出会い、多様なファッションに触れられたことは大きかったです。
―― 古着は着こなしや着る人によって表情が変わりますが、神谷さんの提案する服からもその楽しさを感じます。
大阪時代は人間としての吸収力が凄まじく、すべてを自分の中に叩き込みました。当時の大阪は、モードブランドの古着とレギュラー古着をミックスする文化が非常に強かったんです。東京に来て感じたのは、大阪の人の方が「自分のスタイル」を作り上げるのが上手いということ。一見めちゃくちゃに見えても筋が通っていたり、スケータースタイルにさらっとギャルソンのシャツを合わせたり。東京は少しクールすぎて、「この服ならこう着るべき」というルールに縛られている印象があります。多感な時期を大阪で過ごした経験は、今のクリエイションに大きく反映されていると思います。

ショールームに積み重ねられたお気に入りの写真集
―― 日常的なアイテムなのに、組み合わせるとどこかモード感が漂うのは、そうした背景があるからなのですね。
日常的な服が多い分、着る人の個性で最終的に完成されるものを目指しています。ショーのキャスティングでも、単に「似合う」だけでなく、そのモデルのルーツやパーソナルな部分を深掘りして決めます。「あの子のあの座り方がいいな」とか「ヤンチャだからOK」といった、人間味を大事にしたいんです。
COLLECTION ARCHIVE
KAMIYA
―― 2026-’27年秋冬コレクションでランウェイは6回目となりますが、演出も常に刺激的です。ショーを作り上げる際の思いをお聞かせください。
ショー = エンターテインメントでありたいという思いが強いです。少し馬鹿げていたり面白かったりと、来てくださるお客さんを楽しませたい。今は誰もが簡単に洋服を作れる時代だからこそ、ブランドがカルチャーや文脈、コミュニティを提示することが不可欠だと思っています。単なる付加価値ではなく、「この服を着て何をしたいか、どこへ行きたいか」というメッセージ性を強く出さないと個性は生まれません。ファッションショーはそのための表現方法として、より世界観を想起しやすい仕掛けを続けていきたいですね。
―― 渋谷・百軒店での2024-’25年秋冬コレクションのショーは圧巻でした。
あれは本当に大変でした(笑)。三原に「次はどこでやるんだ?」と聞かれて「百軒店です」と答えたら、「俺がやりたいわ」と言われたりして。商店街の会長さんや青年団の方々から「商店街で何かやりたい」と相談をいただいたのがきっかけでしたが、営業補償の問題など調整が山積みでした。結局、ショーの 2 ヶ月前から毎週必ず百軒店へ通い、朝まで飲んで全店舗を回りました。その結果、皆さんすごく応援してくださって。
―― 凄まじい熱意ですね。
服を見てもらうのはもちろんですが、何より楽しんで帰ってもらいたい。ファッションは楽しむものですから。他のブランドとは違う形かもしれませんが、こういうブランドが 1 つくらいあってもいいんじゃないかなと思っています。

―― 2026年春夏はテーマが「The Darkness Will Disappear」でした。これはどのような思いで作られたコレクションですか?
カジュアルでストリートな印象は変えずに、あえて「きれいめなシャツ」に挑戦しました。一般的にドレスシャツを「光」とするなら、KAMIYAのボロボロなアメカジスタイルは「闇」かもしれません。でも僕にとっては逆なんです。その「闇」すらも「光」に変えようという思いを込めて、シャツにフォーカスしました。
―― 素材へのこだわりも強かったのでしょうか。
たとえばバンダナ柄のシャツは、薄いガーゼを3層にしてインディゴ染めを施し、使い古した本物のバンダナのような質感を出すために抜染で柄を出しています。また、今まで使ったことのなかったコットンシルクのネップ素材なども、KAMIYAのダメージデニムに合うように作り込みました。最新の2026-27年秋冬では、初めて本格的なテーラードにも挑戦しています。ストリートのヤンチャなノリから少し変化し、面白いバランスが取れたと感じています。

右はガーゼを3枚重ねて作ったシャツ


「THE PHARCYDE」の店内
―― ところでソスウの代表を務める三原さんとはどのようなタイミングで出会ったんですか?
当時大阪にMaison MIHARA YASUHIROのセカンドラインの「MYne(マイン)」のショップがあって、そこでオープン当初から働いていたんですけど、Maison MIHARA YASUHIRO大阪店リニューアルのタイミングで初めて会いました。以前は古着屋や裏難波の立ち飲み屋で働いていて接客には自信があったので、当時の店長に三原と一緒にディスプレイ用の植物を買いに行く事を頼まれたんです。2 件目の植物屋に向かう道中、タクシーが全然捕まらなくて。そしたら三原が「神谷くんタバコ吸う?こういう時はタバコを吸ったらいいよ。吸い始めるとタイミング悪く来るから」と言うので、本当に3、4口吸ったらタクシーが来て(笑)。それが最初の思い出ですね。
―― クリエイションについて、三原さんからアドバイスはありますか?
それが、ないんです。MYneの最後の方に「神谷くん自身がお洒落なんだから、自分の好きな服を作りなよ」と言われて。先日も展示会で、初めてKAMIYAのライダースに袖を通してくれたんです。三原はこれまで数えきれないほどのライダースを見て着ているはずなのに、「これ、いいね」と言ってくれた背中を見て、正直泣きそうになりました。

―― MYneをやっていた時は、三原さんの考えを引き継ぐという意識は神谷さん自身にありましたか?
服に関しては、元々のイメージに僕が販売して感じ取ったものをプラスして作っていたので、100パーセント自分の色は出していませんでした。そういうところを三原自身も理解した上で、“好きな服作りなよ”になったんだと思います。好きなもの作り始めて売り上げが伸びてきた時に、ブランド名変えようということになったんです。
―― 神谷さんがクリエイションにおいて最も大切にしていることは?
「無理なデザインをしない」ことです。自分が心から好きで、愛せるものかどうか。奇抜でクリエイティブなだけの服ではなく、等身大で「自分が着たい」と思える先に面白さがある、そんな型破りな表現を目指しています。
―― 今後の夢を教えてください。
夢はいっぱいあります。ひとつはKAMIYAプレゼンツで音楽フェスのようなイベントをやりたいですね。ファッションと音楽は切り離せないものですから、服をツールにして、もっと人と関わっていきたい。フェスのグッズとしてコラボTシャツを作って、誰が一番売れたか競うのも面白い。あ、それから飲み屋もやりたいです(笑)。


「THE PHARCYDE」の店内
―― どれも神谷さんらしくて楽しそうですね。
僕は音楽が好きで、このお店の名前「THE PHARCYDE」もヒップホップのグループ名からとったもの。うちのブランドは、そういういろんなカルチャーが混ざっていて、服を着たときの研ぎ澄まされた感覚がそこにプラスされてスタイルが完成すると思うんです。ずっとそれを目指していきます。
―― 最後に、デザイナーを目指す若者へメッセージをお願いします。
ぜひ「服以外のところ」にも目を向けてほしいです。今は情報が勝手に入ってきますが、デジタル抜きの生活が難しいからこそ、自分の目でものを見る力を養うことが重要です。たとえば音楽の流行はファッションとリンクしています。最近のK-POPがテクノやハウスに寄っているなら、かつてそのジャンルが全盛だった頃の服装はどうだったか?といった分析がヒントになります。テクノ系の音楽が流行ってきて、運動量多いダンスする時にワイドパンツ履いて踊らないから細身になるのかなって。音楽から出てくるファッションというのも重要。視野を広げ、アンテナを張ることで、考え方も楽になるはずです。あとは、仲間を大事にして、今の時間を楽しんでください。
photographs:Josui Yasuda(B.P.B.)
Koji Kamiya
1995年愛知県生まれ。高校卒業後、大阪でアパレルキャリアをスタート。ヴィンテージ/アーカイブと現行品をミックスさせるファッションカルチャーに強い影響を受け、ヴィンテージショップで販売キャリアを重ねる。その後SOSU社のストリートレーベルMYneに参画し、三原康裕に師事。2018年にMYneディレクターに就任し、モード感のあるストリートウェアに自身のルーツを投影した物作りを展開。 2023年ブランド名を変更し、KAMIYA(カミヤ)としての活動をスタートさせる。
Instagram:https://www.instagram.com/kamiya___official/
Instagram:https://www.instagram.com/kamiya_my/
















