レディスのクラフトテクニックをメンズに取り入れることで生まれてくる、「アンリアレイジ オム」のクリエーション。温かくて優しいアイテムから伝わる強さはやはり“手の力”があるから。デザイナー森永邦彦さんのメンズに対する思いをここで。
――このタイミングでオムを発表した理由は?
アンリアレイジは去年ブランド設立20周年、パリで発表して10周年でひとつの節目でした。2つの交わらない世界というのを、両極を行き来しながら服を作っていく。それがいちばんはじめのコンセプト。両極というのは、日常と非日常ということなんですが、シーズンのテーマとして落とし込んできたそれらを、ブランド運営においても拡張して作ってみようと思いました。アンリアレイジとして発表してきたものが、すべてテーゼとか正義ではないと思っていて、それに対する真逆にあるものを同時にぶつけて弁証させていくのがタイミングとして必要なんじゃないかと。
ずっと一つのものにこだわり続けて、深くするというスタイルでやっているんですが、この20年という歳月で慣れが出てきてしまったり、自分たちらしさというものがすごく強く出てしまって。それをあえて揺さぶって、新陳代謝していこうと。パリの発表については、装苑やハイファッション、ミスターハイファッションを見て憧れがあり、東京コレクションで発表して、その先にパリコレクションがあると。どうしても段階としてその2都市を考えていたんですけど、今はそうではないですよね。もっと東京には東京の良さ。パリにはパリの良さがあって、逆にパリから東京に戻るというのは全然ネガティブにはとらえていないので、東京でもう一度何かを始めることと、パリで発表を続けていくことが今やるべきことだと思いました。だからメンズは東京でやろうと。
――レディスとメンズの差別化はどのように考えていますか?
レディスは新しく実験的で挑戦的なことをやっていく。その中には根本である人と服を切り離して、人から遠いところにおくこともあります。ひとの手で作るということから離れて、テクノロジーだけで作ったりして、みんなとは違う方向を目指しているところがあります。一方メンズはアンリアレイジではあるけれど、中心にはきちんと男性像があって、着る人に寄り添っていく中で、リアリティのあるものを作るということに。
メンズというと、イメージとしてかっちりとしてカッコよくてというのがあるんですが、そうではないものを描きたいと思っていました。レディスで表現している要素、ファンタジー性、実験性も含めて、それらの手法を用いてメンズを作っていく。他にはないメンズの表現方法だと始めた時に思いました。
――森永さんの中での男性像が具体的にあったら教えてください。
具合的にはスタイリストのTEPPEI君を掲げているんですが、もう少し広義でいうと2000年初頭の原宿の町に溢れていた、古着やモード、ストリートをミックスして着こなす人。東京独自の熱がありました。コム デ ギャルソン、クリストファー・ネメス、シュプリーム、古着などの服を、同じ人物像の中で完成していったという。それを体現していたのがTEPPEI君でした。未来からあの景色を見たら異星人みたいに見えるんじゃないでしょうか。
――その頃の森永さんは何をされていたんですか?
2001年は大学3年生だったんですけれど、文化服装学院のオープンカレッジに通い、同時にバンタンデザイン研究所にも通って、ブランドを始めた頃です。
――確か早稲田大学に通っていましたよね?ファッションほその頃から?
ケイスケカンダの神田恵介さんが早稲田にいて、神田さんの弟子になるべく早稲田に入ったんです。1999年のアンダーカバーを特集した装苑の後ろのページで、インディーズブランドを扱っていたんですが、そこでキャンディロックというブランド名で神田さんの服が紹介されていていました。言葉をベースにして服を作るとか、メッセージを伝えるために服を作るとか書かれていて、それからどんどん神田さんのことが気になって、弟子になろうと神田さんを追いかけて早稲田に入ったんです。
神田さんの服はすべてが衝撃的でした。その後、‘99年に井の頭線を使ってファッションショーをするんですが、この人やばいなと確認して、自分もファッションをやろうと思ったんです。
――デザイナーになるためのキーパーソンですね
アンリアレイジを立ち上げて、神田さんより先に展示会をやって服を売り始めていたんです。会社も立ち上げてビジネスも波に乗って。でも神田さんは服は売らないと言っていました。服を売るのは魂を売ることだと。師弟関係はあったものの服を売らない師匠と、徐々に服を買ってくれるお客さんがついてきた僕の関係値が逆転するのが苦しくて。神田さんの作るものは好きだったから、何とかこの服を売ってくれないかと、いろいろけしかけて一緒に東京タワーでファッションショーをやることにしました。
ショーはボロボロだったんですが、神田さんはそのショーの後、展示会で初めて服に値段をつけて服を売ることをはじめました。その展示会にはじめて来てくれたのがTEPPEI君。東京タワーの僕たちのショーを見に来てくれて何かを感じてくれて。展示会をやっても人がなかなか足を運ぶ人がいないのに、TEPPEI君やファッションに敏感な人たちがきてくれました。TEPPEI君はその展示会で、このレディスの服を僕のサイズで作ってくださいと言ったんです。パッチワークのジャケットやニットジャケットなど、TEPPEI君のためにはじめてメンズを作りました。オンリーワン。その僕の服と神田さんの服を合わせて街で着た第一人者なんです。初めて神田さんが価格をつけた服と、僕が初めて作ったメンズの服のミックスコーディネート。その写真が「TUNE」というストリート雑誌の表紙になって、服の問い合わせがあり、それが僕のブランドが爆発したきっかけになりました。
TEPPEI君はまだスタイリストではなく、古着屋で働いていた服が大好きな男の子。そのことがメンズの原点になっています。多くの人に向けたメンズではなく一人に作るメンズをもう一度やってみようと。アンリアレイジが20年やってきたレディスの要素をメンズに取り入れて考えました。
――構想期間は長かったのですか?
実際はスタートしてから半年ぐらいです。この何年間の要所要所でTEPPEI君は絶対にアンリアレイジのメンズをやりたいですよねと言ってくれていました。僕も徐々にメンズをやりたい気持ちが募って、この20周年のタイミングで発表することに。
――メンズに関して、森永さんが着たい服ということは考えなかったのですか?
僕自身は自分の表現するものと自分がちょっと離れているタイプなんです。アグレッシブなものは作るんですが、そことは距離がある。着る服は色もほとんど着ないし。
――レディスからのディテール、例えばパッチワークやざっくりしたニットなど、牧歌的な要素がレディスのコレクションで見るよりも際立ってみえたのですが。
作っているものはレディスのコレクションで発表しても成立するようなものだと思っているんですが、ジェンダーをどっちに振るかということで、同じものでも見え方が変わります。その壁を越えようというのが、おそらくメンズの中ではあまりなかったのではないでしょうか。レディスのショーでやっているアグレッシブなものを、メンズに置き換えた時に、レディスだと非日常的な印象になるんですが、メンズでは牧歌的に見えたのかもしれないですね。
アンリアレイジの初期の服は、基本手なんです。手で出来ること。パッチワーク、手編みのニット、刺繍。完成しきっていない未熟さの残るものが、今回入れられたいいと思っていました。
――ファーストルックのボタンがたくさんついたピンクのセットアップも手で?
そうですね。あれも手じゃなければできないですね。ロゴも小文字の丸みある文字に変えているんです。レディスのアンリアレイジは大文字で鋭角的。大文字の四角と三角の世界は計算された図形的な世界。余白があったり、子供時代の未熟さがあるような完成しきってないことを、経験を積んだからこそやるべきだなというのはありますね。
――サイズが合えば着たいと思う女性も多くいるかと思うのですが、そこは意識しましたか?
出来上がっていくものが、レディスの要素を用いて作っていて、丸みある柔らかいイメージだったので、メンズと言いながらもレディスで好きな方はいるんじゃないかなとは思っていました。
――ショー会場をテレコムセンターに選んだ理由は?
2001年の頃の景色と今というのを表現するときに、直線の時間軸だと行って終わり。後ろが過去で先が未来。ずっと繋がっていることを示せるのがいいと。それには円形のランウエイが良かったんです。オムの曲線的なイメージも含めて。
――パリでの発表も考えていますか?
今は東京で。
――今後もメンズに関してはTEPPEIさんがキーパーソンになっていきますか
そうですね。TEPPEI君はキーパーソンです。
――レディスとの差別化が明確にされてより楽しみになりますね
レディスはもっと非日常を。もっと実験を。
――最後に森永さんがデザイナー以外で尊敬するクリエーターを一人教えてください
分野は違いますが藤子・F・不二雄さん。藤子先生はいわゆるSF作品を多く生み出しましたが、ロボットや空間移動をはじめとして、近未来的な科学を主軸にしながらも、子どもたちのありふれた日常から離れることはありませんでした。SFを「サイエンスフィクション」ではなく、「S(すこし)F(ふしぎ)」として、日常を忘れず描き続けたことが本当に素晴らしいと思っています。日常とSFを融合させた唯一無二の世界は、自分が子供の頃に読んで、大人になっても今尚ずっと心に残っている作品です。僕もそんな服をいつかつくれたらと思います。
photographs: Josui Yasuda(B.P.B.)
森永邦彦
KUNIHIKO MORINAGA
1980年東京都国立市生まれ。早稲田大学社会科学部卒業。2003年、大学在学中「ANREALAGE」として活動を開始。2005年、東京タワーを会場に東京コレクションデビュー。東京コレクションで10年活動を続け、2014年よりパリコレクションへ進出。2019年、フランスの“LVMH PRIZE”のファイナリストに選出、同年第37回毎日ファッション大賞受賞。2020年、「FENDI」との協業をミラノコレクションにて発表。2021年、ドバイ万博日本館の公式ユニフォームを担当。2022年、宇宙航空研究所(JAXA)と協業したパリコレクションを発表。2023年、ビヨンセのワールドツアー衣装をデザイン。2024年、東京にて「anrealage homme」のデビューコレクションを発表。