金賞&デザイン賞を受賞!
世界へと飛び出した若き才能、
西脇駆さんインタビュー
中国・杭州で開催された世界に開かれたファッションコンテスト「Hempel Award」で、見事グランプリに相当する金賞に輝いた文化服装学院アパレルデザイン科3年の西脇駆さん。国際的な舞台で高く評価された今の率直な思い、彼の生み出す独創的なクリエイションの源にあるもの、そして未来への展望まで、お話を伺いました。
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文化服装学院 アパレルデザイン科 3年 西脇駆
photograph: Josui(B.P.B.)
――まずは、「ヘンペルアワード」での金賞&デザイン賞のダブル受賞、おめでとうございます。これが、2度目の海外コンテストだそうですね。「ヘンペルアワード」を経験した、率直な感想をお聞かせください。
「ありがとうございます。初めての海外で『台湾ファッションデザインアワード』の最終審査を経験して、その翌週に中国で『ヘンペルアワード』の最終審査に参加しました。景色は綺麗でしたし、良いところもたくさんあったのですが、英語でのコミュニケーションがうまく取れず、『家に帰りたいな』と初めてホームシックになりかけました。でも、コンテストでファイナリストたちに会ったら、みんな表情がとても豊かで、『通じ合いそうだな』と感じて安心しました。
やはりファッションをやっている人は、国籍や言語が違っても通じるものがあるんだなと、積極的にコミュニケーションも取りました。自分のブランドの写真を見せると『やばいね!』と褒めてくれることが多くてうれしかったです。みんな制作はしていても、僕のようにブランドとして販売したり、有名なアーティストが着てくれたりという経験がある人はいませんでした。もしかしたら、日本はファッションを通じて、学生とアーティストの距離が近いのかもしれない。日本は学生にフォーカスしてくれる環境があるんだなと、海外に出てみてあらためて感じました」
「自分の“色”は、誰とも違うと思っている」
――最終審査で発表した作品の制作期間は1週間ほどで、かなり追い込んで作られたそうですね。受賞した時のお気持ちは。
「いや、本当にびっくりしました。制作期間が短く、自分の中で修正の時間が十分に取れなかったという心残りが正直ありました。でも、他の人の作品を見た時に、自分の“色”がみんなとは遣うことや、『この人に任せたら面白いだろうな』と思わせる点では1番だという自負はありました。それでも、やはり驚きましたね。審査員の方から聞いた話として、『コスチュームとファッションは違う』という視点があったようです。多くの作品がコスチューム的な要素が強い中で、僕の作品はテキスタイルや加工、デザインなど、トータルで『ファッションとして』と評価していただけたのかなと思います」
「感情によって見え方が変わる海を表現したかった」
――改めて、今回披露した3体の作品について、お話しいただけますか。
「海外のコンテストに出すにあたって、自分のルーツに根差したものを出したいと考えました。僕は横浜出身で、海を見る機会が多かったんです。感情が高ぶった時などに見る海は、いつもと少し見え方が違う。その感覚が、僕が好きなファッションの在り方と似ているんです。一見ごわついて見えるけど、遠くから見ると印象が違ったり、近くで見ると『こんな質感なんだ』と発見があったり。そんな風に、見る時の状況や気持ちによって変化する海の表情を3体で表現したいと思いました」

「スパイキーな黒のパンツのルックは、夜の海をイメージしています。波の形はよく見えないけれど、確かにそこに存在している、という感覚です」

「ナイロンジャケットは、ベースに日本語のグラフィックや友人の顔をデジタルプリントして、裏からヒートガンを当てて波のように歪ませています。フードを被った時のトゲのようなディテールは、海坊主のような、少しキッズ服のような感覚を取り入れました」

「これは、新たなニュアンスを取り入れてつくった『透けるトゲニット』です。今まではマットな質感のニットが多かったのですが、肌が見える面白さを表現したくて。インナーにはタトゥーのようなプリントを施したセカンドスキンを合わせて、露骨になりすぎない肌見せを意識しました。
パンツはファーをヒートガンで加工して、海辺の岩のようなひび割れた質感を表現しています。トータルで、リアルに着られるギリギリのラインを意識して作りました」
「マイナスなものがプラスに変わる。それが“Deadbooy”」
――西脇さんは学生でありますが、ご自身のブランド「Deadbooy」を運営されています。ブランドを始めるに至った経緯を教えてください。
「実は、中学生の頃に引きこもりがちな時期があって、外にあまり出られないことが長く続きました。電車に乗ると倒れてしまうような感覚があったので、常に2時間前行動を徹底するような生活でした。自分に自信はあるのに、何もできない、というアンバランスな状態だったんです。でもちょうどその頃、今一緒にブランドをやっている幼馴染が、ダンサーとしてテレビ番組に出て少し有名になったんです。
間近でどんどんステージを上がっていく彼を見て、『このままじゃダサいまま逃げて終わるな』と強く感じました。そこから、何かを始めようと。マイナスなものがプラスに変わる、という経験を表現したくてブランドを立ち上げました。だから、もう死んでいるようなやつだけど、そこからがむしゃらに続けることでかっこよさになればいいな、という思いで『Deadbooy』と名付けました。
自分の人生を通して、モノづくりを共にできる、ついてきてくれる仲間が『楽しいな』『一緒にやってよかったな』と思えるような、そういう日常を作りたいんです。格好つけてしまう方が簡単だとは思います。でも、自分のことを正直に表現することで、自分の人生も、仲間との関係も、すべてが良い方向に変わっていきました。ブランドを始めて、本当に幸せになったなと実感しています。
僕の服を見て文化服装学院に入学を決めたと言ってくれる人がいたり、中学時代に僕を救ってくれた憧れのアーティストから連絡が来て、衣装を提供したりMVを制作したりするようにもなりました。服がかっこいいということ以上に、自分のクリエイションが誰かの心を動かし、自分の夢を叶えてくれる。それが何より嬉しいです。ファッションに救われましたね」
「パリコレより価値があることを。いつか東京ドームを自分で埋める!」
――ファッションを通してご自身に大きな変化が生まれた今、10年後、20年後はどんなデザイナーになっていたいですか?
「まずは、この初心を絶対に忘れないようにしたいです。仲間と同じ喜びを味わいながら、ブランドを大きくしていきたい。パリコレや東コレに出ることも素敵なことですが、誰かが作った道の上で評価されるだけというのは、僕には少し違うような気がしていて。
それよりも、ずっと自分が『明日が楽しみだな』と思いながら服を作り、誰かに評価されるためではなく、自分が納得できる、心の底から『最高だ』と思えることをやり続けたい。最終的な目標は、自分の力で東京ドームを埋めるくらいのことをしたいんです。1つのブランドが4万人を集めてショーをやる。
そうなったら、それはもうファッション業界だけの話ではなく、社会現象になると思うんです。そのためにも、自分自身がもっと魅力的な人間になって、みんなの心に響くブランドを作っていきたいです。自分を最大限に発揮できる場所は、自分自身で作りたいと思っています」
Hempel Award
WEB:https://www.fashion.org.cn/2023xb/
Instagram:@hempelaward_offical
Deadbooy
WEB:https://deadbooy.com/
Instagram:@iamdeadbooy







