左から栁澤春馬さん、宮坂真弥さん、菅沼 愛さん
文化服装学院を卒業し、活躍できる分野は多岐にわたる。そんな多様な文化の姿を体現する3人の座談会。ファッション流通科スタイリストコースを卒業し、スタイリストになった菅沼愛さんと、ファッション流通科リテールプランニングコースを出て空間デザイナーとなった栁澤春馬さん、インダストリアルマーチャンダイジング科を卒業後、ファッション誌の編集者として活躍する宮坂真弥さんが、それぞれの道を見つけるまでのお話。
photographs: Jun Tsuchiya (B.P.B.)
三者三様の学生時代、価値ある時間
菅沼 愛(以下、菅沼) 私は高校3年の1学期まで保育士になろうと思ってたんだけど、服が好きだったから同時に服飾学校のパンフレットも集めてて。そうしたら文化でサマーセミナーがあることを知って、帽子とバッグを作るコースを受けに行ったんだよね。行ってみたら面白い人がたくさんいて、すごく楽しそうだった。それで文化に入ることにしたんだけど、その時に聞いたのは、文化は課題がたくさんあって大変だよっていうこと。それで課題で挫折しなさそうな流通科を選んだのが最初。
栁澤春馬(以下、栁澤) 僕もサマーセミナーは行った。そこで「どの科が向いてますかね?」みたいに聞いたら、流通科だろうって先生に言われて。当時は東京に出たかったのと、将来セレクトショップをやりたい思いがあって、それなら文化だって、あんまり迷いもしなかったな。
宮坂真弥(以下、宮坂) 私は兄の影響。兄の友達で文化に通ってる人が多くて、私も一緒に遊んでたから、高校の時によく文化に遊びに来てた。ただ自分は大学受験するつもりで3年まで準備してたんだけど、文化祭に来たら楽しそうで、受験やめちゃった(笑)。それでファッションやるならデザイナーかな?って基礎科に入って。愛ちゃんとは、文化祭の音効(音響効果係)で仲よくなったよね。
菅沼 そうそう。パーミニットの半澤(慶樹)さんもいたね。
宮坂 文化祭の係をやると数百人と関わることになるから、縦も横もつながりができて。その人たちと週4日とか夜まで遊んだり、一緒にいた時間が今の仕事にもつながる人脈になったと思う。愛ちゃんの学生時代といえば放課後じゃない?
菅沼 キャットストリートに通いまくるっていうね。
栁澤 何してたの(笑)。
菅沼 1年の時はバイトをしてなかったんだけど、学校から1日も家に直帰しなくて。友達とDogとかあの辺のお店に通い詰めて、とにかく顔出して店員さんと話してただけ(笑)。
栁澤 それ正しい文化生だね〜。
菅沼 確かに。今でも当時通ってたお店でリースをさせていただくので、正しかったかもしれないね。
宮坂 そういう時間があるのが流通科のいいところだよね。
栁澤 うん。課題がそんなに大変じゃなかったから、僕はひたすらバイトしてめちゃめちゃ服買ってた。
宮坂 何買ってたの?
栁澤 (ジョン ローレンス)サリバンとか。
菅沼 ラフ(・シモンズ)もすごい着てなかった?
栁澤 着てた! 僕が文化に来て一番嬉しかったのは、服好きの友達ができたこと。高校の時、学校の友達に服の話は理解されなかったから、地元の長野県富士見町から電車で1時間くらいかけて松本まで出て、松本にいる服好きの友達と服屋で会ったりしてたんだけど、文化に来たらそこらじゅうに服好きがいて、何買ったとかどこ行ったとか話してるわけで。ほんとその環境が最高だった。
ファッションを学んで広がった将来の道
栁澤 僕は、2年の時にバイトしはじめた青山のセレクトショップ「ICON」(現在は閉店)のディレクターが空間デザインをやってたことで、興味の方向がお店を持つことから、空間のほうに一気に変わった。ただそういう仕事に就いている人たちは、当然、みんな建築や空間デザインの学校を出ていて。どうしたら自分が空間の仕事ができるか考えた結果、自分で場をキュレーションすることで空間を作ろうと。それで展示を企画してたんだよね。
菅沼 私は、自分で自分の服をコーディネートするのが好きだったから「スタイリストいいかもな」って思い始めた感じ。
宮坂 それは1年生の時?
菅沼 うん。1年生の時はスタイリストコースに行くって決めてたね。それでまずは仕事を経験してみようと思って、2年の時、同じクラスにいた小山田(孝司)さんの手伝いをしてる男の子にお願いして紹介してもらったのが、アシスタントについたきっかけ。当時は相澤樹さん、遠藤リカさん、遠藤彩香さんのお仕事もすごく好きだった。雑誌は昔からたくさん買ってたけど、スタイリングっていうことを意識しだしたのは『装苑』だった気がする。これはステマじゃなく(笑)。
宮坂 私も雑誌オタクだったから分かる。1字1字、読み込むくらい雑誌が好きだったのと、IMD(インダストリアルマーチャンダイジング)科に進んだら、自分は服作りよりプレゼン資料作りと作品撮りが好きで楽しいっていうことに気がついて、2年の途中くらいで雑誌のエディターだなって思った。けど出版社は大学卒業資格が基本条件になっていることが多いから、私は卒業後は就職せず、いろんな出版社の看板をたたいて、お金は気にしないのでとにかく働かせてくださいって言って回って、最初の編集部に入ったんだよね。
栁澤 その話、初めて聞いた。僕は今、空間デザインの仕事をしているけど、文化で出会った人たちと仕事をすることが多くて。だから文化に行かなきゃよかったかと言われたらそういうことではないし、逆に建築や空間デザインの学校に行っていたら、今、自分がやっているような仕事は取れなかったと思ってるんだよね。
宮坂 確かに、春馬のクライアントは「何年代のこの感じにしてほしい」みたいな話の時に共通言語がないと難しい気がする。
栁澤 そう。カルチャーがないと成り立たない。そういう意味では文化に行ったのは絶対的によかった。
宮坂 文化、最高だよね。毎日楽しかったな〜。
菅沼 楽しかったよね。私、おばあちゃんになっても「文化行っててよかったな」って言ってると思う。
栁澤 授業の話もしようよ(笑)。
宮坂 あ、私あるよ!「WWD JAPAN」の向千鶴さんや『装苑』の編集者がパリコレのトレンドを解説してくれる特別講義が大好きだった。
菅沼 流通科には、ビームスのプレスの安武俊宏さんやスタイリストの髙山エリさんが来てくれたよ。
栁澤 リテールプランニングコースの時、文化祭の「RE・TENT」の企画にも外部の人が来てくれてた。
宮坂 特別講義、楽しかったよね。
現役文化生におすすめの時間の使い方
宮坂 さっき春馬も少し言ってたけど、文化に行って一番よかったのは、やっぱり友達なんだよね。
菅沼 本当に。出会えてよかったって思う。
宮坂 だから学生時代はいっぱい遊んだほうがいいし、その遊びの中にも意味を持たせて、なるべく、自分が将来進みたいカルチャーがある場所に行くのがいいんじゃないかな。
菅沼 学校の中のことでいうなら、文化の図書館はたくさん使ったほうがいい。あれだけ雑誌や写真集がそろっている場所はほかにないし、仕事をするようになって、もっと行っておけばよかったって思うから。
栁澤 あと、僕らの世代やそれより下の世代で、今、注目されてたり人目を引くようなことをやってる人たちは、みんな学生時代からアウトプットをしてたよね。BoTT(ボット)のTEITOも、学生の時から別のブランドをやってたし。
宮坂 確かに。CARSERVICE(カーサービス)の(橋本)奎くんは学生時代からイベントでアウトプットしてたし、玉ちゃん(TTT_MSWデザイナーの玉田翔太)や、ヤシゲ(ユウト)とビアンカ(テンダーパーソン)も文化の時にもうブランドを始めてた。
菅沼 当時からやりたいことをやってた人が今も残ってるね。
栁澤 そう。早いうちからアウトプットすることも大事!
Ai Suganuma
1994年生まれ。2015年、文化服装学院ファッション流通科スタイリストコース卒業。在学中の2年次よりスタイリスト小山田孝司のアシスタントを務め、卒業後も師事。’17年に独立。広告や衣装、雑誌『装苑』「NYLON JAPAN」の仕事などで活躍。
Maya Miyasaka
1994年生まれ。2016年、文化服装学院ファッション工科基礎科インダストリアルマーチャンダイジング科を卒業。雑誌「Lula」のインターンを経て、「NYLON JAPAN」のファッションエディターに。現在はフリーランスで広告撮影やエディトリアルを行う。
Haruma Yanagisawa
1994年生まれ。2015年、文化服装学院ファッション流通科リテールプランニングコース卒業。’16年にニューヨークへ留学。’17年に「DISTRICT 24」を立案し、その後、展覧会の自主企画と運営を行う。現在、商空間全般のデザインを行うFORMULAを主宰。