被写体を見つめているカメラが、いい意味で透明人間になり、どこか宙に浮いているように撮られている映画がすごく好きです。
甫木元空〈窓外〉より 2023年
――映画『はだかのゆめ』では、死期を悟る母親と、既にあの世に居る息子が窓という境界線で隔てられていて、互いの気配だけを感じて呼応しあっていました。甫木元さんが大学在学中に撮影した『終わりのない歌』(’18年)は父親の死を契機に発見した、彼が遺した甫木元さんの幼少期のホームビデオの映像を構成したセミドキュメントですが、成長してからの家族の物語を無機質なトーンの劇中劇として挿入しています。
小説「はだかのゆめ」では、主人公のホキモトソラが「彼奴」と呼ぶ、アバター的な、あるいはイマジナリー・コンパニオンいう主人公の行動を見張る謎の存在が出てきます。ノンフィクションの素材に敢えて虚構性を濃厚に入れ込む世界観は甫木元さんの作品の特性かと思いますが、その意図は?
甫木元:僕自身は悲しみのピークや、気持ちの落ちているときの底をダイレクトに作品にすることには抵抗があり、そのアプローチは見る人にとってはある種、暴力的な瞬間にもなり得るし、作家の姿勢として独りよがりにならないかと考えてしまいます。
結局、向こう側にいる人達のことを記憶しようとしても細部を忘れていって、逝ってしまった人たちのことは窓の外から覗き込むようにしか見ることができない。作品にするにしても、彼らの生前の気配みたいなものを切り取って見せることしかできないんじゃないか。自分の喪失を、見ている人と一緒に考えられること、僕の家族の話が普遍的な、誰かの家族の話になるように。それは毎回、考えていることです。
すべて 甫木元空〈窓外〉より 2023年
――甫木元さんが作詞を担当しているBialystocksの「頬杖」の歌詞の中に“心の四隅に何度も触れて”というフレーズが出てきますが、心という形のないものにも自然と人はフレームを持っているという発想が面白いですね。「窓外」というタイトルと関連して意識している、もしくは刺激を受けている映像作家はいますか?
甫木元:窓を効果的に使っている好きな映画はいっぱいありますし、そもそも映画監督というのは日常生活をフレームで切り取る仕事であると思います。ベタな例ですけど、アンドレイ・タルコフスキーの『鏡』は窓と鏡が象徴的に使われていると思いますし、スティーブン・スピルバーグの窓一枚で世界を隔てる演出は効果的だと感じます。映画はもともとピンホールを利用した円形から始まったと言われていて、どういうフォーマットにするか、創成期に色々議論があったと思うんです。最終的に絵画のフレームと共通する構造になったのは、みんなどこかで心に窓があって、フレームの中に何を残すか考えながら生きているからではないか。絵も、音楽も、映画も後世に何か伝える、残すことがもとになっている。今回の展覧会では、記憶と記録の関係性を考察してみたいと思いました。
僕自身はドキュメンタリーとして、定点観測の眼差しで構成されているものがとても好きです。大学の授業で佐藤真監督が撮った写真家の牛腸茂雄さんについてのドキュメンタリー映画『SELF AND OTHERS』を見たとき、牛腸さんの撮った写真の中に出てきた道をただ映しただけのショットがあった。それが劇中一度だけ出てくる御本人の肉声以上に、本人の歩んだ道のりを示していると感じました。亡き牛腸さんの気配を映した構成に今考えたら確かな影響を受けている。あの作品の撮影はたむらまさきさんであり、録音は菊池信之さんで、後の青山真治組のスタッフでもある。菊池さんは僕の映画『はだかのゆめ』で音響をお願いしています。
今回、個展の関連イベントとして高知県立美術館で行う「爆音映画祭」でも上映する、堀禎一監督の『天竜区奥領家大沢 別所製茶工場』にも同じことを感じ、ここ数年で見た映画の中で一番影響された映画の一本です。前出の「その次の季節」展のときも、被曝体験を語る元漁師の人たちのインタビュー映像を、和室の障子の隙間から覗き込むような構成にしました。そのときから窓外というコンセプトはあったと思います。
――作家の眼差しという点で、意識している存在はいますか?
甫木元:被写体を見つめているカメラが、いい意味で透明人間になっているというか、どこか宙に浮いているように撮られている映画がすごく好きなんですね。見つめている人の眼差しや存在を感じさせないっていう。黒沢清さんはそれがなぜか劇映画でも成立している。最近、デジタル4K化された相米慎二さんの作品を見直す中で、ワンカットの流れの中でカメラが人間的じゃない瞬間がすごいっぱいあることに改めて気づいて、長回しすることでカメラが自由になっていることを確認しました。
同じく鈴木清順さんの4K化された『ツィゴイネルワイゼン』『陽炎座』『夢二』にも、どこか監視カメラのような眼差しを感じました。言ってみれば、映画の始まりである、リュミエール兄弟による『工場の出口』(1895年)にも感じる、カメラと被写体の奇妙な距離感。相米さんや清順さんが今、海外で再評価されている理由の一つかもしれません。
自分の展覧会の話に戻すと、映画『はだかのゆめ』を作るときに参考にした民俗学者である宮本常一は、膨大な記録写真を遺しているのですが、それをオリンパスのペンSというハーフサイズカメラで撮っているんですね。フィルムを2分割して撮れるもので、その写真を見たときに単純に面白いと思ったことも、違う素材を2つ組み合わせて見せるという発想に繋がっています。
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