2021年9月6日、フランスの国民的俳優であるジャン=ポール・ベルモンドが88歳でこの世を去った。ベルモンドが出演する映画の中でも、ジャン=リュック・ゴダール監督と組み、その鮮烈な存在感でヌーヴェル・ヴァーグを世界に知らしめた『勝手にしやがれ』、そしてヌーヴェル・ヴァーグの最高到達点『気狂(ちが)いピエロ』は、公開から50年以上経った今でも多くの人々に愛され続けている。
そんな伝説の2作品がベルモンドへの哀悼を込めて再びスクリーンに蘇る。
映画『勝手にしやがれ』
映画『気狂いピエロ』
2007年のレストアで明快な色彩が蘇った『気狂いピエロ』2Kレストア版は 4月15日(金)より、2020年の公開60周年を記念して作られた『勝手にしやがれ』4Kレストア版(日本初公開)は 29 日(祝・金)より、ヒューマントラストシネマ有楽町、シネ・リーブル池袋他にて全国順次公開。
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応募は、装苑ONLINEの公式Twitterをフォロー後、アップされるこの映画のトピックをリツイートして完了。
締め切りは、3月28日(月)18時まで!当選者の方には、Twitterのダイレクトメッセージで直接ご連絡いたします。
『勝手にしやがれ』
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグ 他
字幕:寺尾次郎
原題:A BOUT DE SOUFFLE / 1960年(2020年4Kレストア版) / フランス / 90 分 ©STUDIO CANAL
自動車泥棒でマルセイユからパリへの逃走中警官を殺した男。かつて南仏でベッドを共にした新聞記者志望のアメリカ人留学生のアパートへ転がり込む。金を調達し二人でイタリアへ逃れようとする男と夢をかなえようとする女の行く末は…。
『気狂いピエロ』
監督:ジャン=リュック・ゴダール
出演:ジャン=ポール・ベルモンド、アンナ・カリーナ 他
字幕:寺尾次郎
原題: PIERROT LE FOU / 1965年(2015年2Kレストア版) / フランス / 90 分 ©STUDIO CANAL
自由!挑発!疾走!目くるめく引用と色彩の氾濫。饒舌なポエジーと息苦しいほどのロマンチスム。『勝手にしやがれ』以来の盟友である撮影のクタール、ゴダールのミューズでありながらゴダールと離婚したばかりのカリーナ、『勝手にしやがれ』で大スターになりこの映画でゴダールと決別することになるベルモンド。各自がキャリアの臨界点で燃焼しつくした奇跡的傑作。
レストア版を鑑賞する際は、当時のみずみずしい映像の再現性だけでなく、新しくなった字幕にも注目したい。今回上映される2作品の字幕は、数多くの映画字幕を手がける寺尾次郎さんによる最晩年の渾身の翻訳。引用が多く詩的なゴダールの映画だからこそ、翻訳の僅かな違いがニュアンスの差を生む。配信でしか「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」を観たことがない人は、レストア版を観てみると新たな発見があるかも。
字幕に寄せた寺尾次郎さんのコメント
今回、「勝手にしやがれ」と「気狂いピエロ」の新訳を依頼された時は、お引き受けするか迷った部分もある。「勝手にしやがれ」は何度目かの劇場リバイバルの時(15~16 年前か)に訳したことはあったが、「気狂いピエロ」は初の試み。約 45 年前にどこかの名画座で見た時の衝撃は若者だった僕にとっては大きなもので、それ以降、何度見てもそのみずみずしさは圧倒的だし、やはりゴダールのすごさを再確認することしかできない。
にもかかわらず今回の暴挙に踏み出したのは、村上春樹氏が新訳として発表したレイモンド・チャンドラーの「ロング・グッドバイ」(早川書房、2007 年)の訳者あとがき(45 ページもある!)を読んで、以前からその考えに共感していたからである。
「翻訳というものは家屋にたとえるなら、二十五年でそろそろ補修にかかり、五十年で大きく改修する、あるいは新築する、というのがおおよその目安ではないかと常々考えている。」(p.565)
「気狂いピエロ」の新訳に関しては、過去の文字情報および映像(海外物も含み、脚本を掲載した雑誌やプログラム、ビデオ、LD、DVD およびサイト)など参照できるものはできるだけ参考にした。現在アマゾンなので簡単に手に入る「気狂いピエロ」の DVD(2012 年5月発売)は、フランスの Studiocanal が Universal にパッケージでフランス映画(メルヴィルなど)の全世界の権利を売ったもので、日本でも突然、発売された。ただ、当時買って見たところ、ゴダールへの敬意が一切うかがわれない、いいかげんな字幕でびっくりした覚えがある。いわゆる、字幕のことをあまり知らない海外在住(?)の方が、何本かまとめて受注して翻訳したような代物だった。
そんなこともあって、今回の新訳の依頼は「少しでも原語に忠実な字幕に近づけ、ゴダールの意図を明確にしよう」と考えながら進めた。そして、「できるだけ固有名詞および引用をきちんと訳す」こと。過去の字幕と同じ部分もあるし、まったく変わっているものもある。もちろん引用は正確に入れたいのだが、字数という制限があるために意訳したものが少ないとは言えない。それゆえ、ゴダールが引用した箇所などをきちんと知りたいという方は、劇場プログラム2冊、「アートシアター 50 号」(日本アート・シアター・ギルド発行、1967 年)と「気狂いピエロ」(東宝・出版事業室、1983 年リバイバル時のもの)などは古本屋のサイトなどで見つかるので、ぜひともご覧いただきたい。とくに前者は、引用箇所を細かく説明しているのでゴダール映画の奥の深さを味わうことができるだろう。
今回、僕にとっての「発見」を2点ほど書いておく。1つは「勝手にしやがれ」で、映画の後半、スウェーデン娘のスタジオに隠れた2人がモーツァルトを聴く時、アップになる本(「アブラカダブラ」 モーリス・サックス)に巻かれた腰巻きの文字だ。映るのは「我々は休暇中の死者だ レーニン」というものだ。これはレーニンの引用となっているが、実際はローザ・ルクセンブルグたちと共にスパルタクス団を結成したオイゲン・レヴィネが国家反逆罪の裁判で述べた弁論の一部。正確には「我々コミュニストは死を猶予されている死者である」だ。当時ガリマール社から発行されたこの本の腰巻きをゴダールがそのまま撮ったものなのか、わざと変えて作らせた腰巻きなのかは分からない。いずれにせよ、ゴダールのローザ・ルクセンブルグへの言及は、近年の作品にまで続き、「気狂いピエロ」でも同じ言葉がベルモンドの綴る日記の一部として現れることを付け加えておこう。
そしてもう1つは「気狂いピエロ」の、あまりにも有名なラストシーンに2人が語るランボーの「地獄の季節」の一節、「また見つかった/何が/永遠が/太陽と共に去った海が」である。映画で引用されたこの詩が、「地獄の季節」(1873 年)の中の「ことばの錬金術」とは異なる異句(題名は「飢餓」)であることを、恥ずかしながら初めて気づいた。僕が当時見た字幕の記憶では「海と溶け合う太陽(la mer mêlée)」という「地獄の季節」の小林秀雄訳に近いものだったと思うのだが、今回、翻訳し始めて原文(la mer allée)が違うので調べたところ、なんとランボーがその1年前の 1872 年に書いた「永遠」という詩のほうだった。ナレーションで「地獄の季節」と何度か出てくるので、そこからの引用と思い込んでいた僕の早合点なのだが、ゴダールは他の作品でも(たとえば『アルファヴィル』)、引用箇所をわざと分かりにくくさせることがよくある。だがそれも、彼にとれば「無意識的引用」(アラン・ベルガラ 奥村昭夫訳 「六〇年代ゴダール 神話と現実」 筑摩書房 2012 年)なのかもしれない。
「勝手にしやがれ」の公開が 1960 年、「気狂いピエロ」が 1967 年なので、今回のリバイバルはまさに約50 年後となる。新たに翻訳を進めながら、50 年を経ても輝き続ける2作品に圧倒される一方、ネットで海外の情報を入手するなど及びもつかぬ時代に字幕を付けた先達の各氏(秘田余四郎、柴田駿、山田宏一)には頭が下がるばかりである。どこまで「新訳」と言えるか心もとないが、25 年は無理としてもせめて 10年ぐらいはもってくれればと思っている。
勝手にしやがれ 60 周年 4K レストア決定版(日本初公開)/
気狂いピエロ 50周年 2K レストア版 特別上映
©STUDIO CANAL
配給:オンリー・ハーツ
後援:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
応援:SLOBE IÉNA(『勝手にしやがれ』)/Charles Chaton(『気狂いピエロ』)/OPAQUE.CLIP(『勝手にしやがれ』『気狂いピエロ』)