京都のとある大学に存在する「ぬいぐるみサークル」(ぬいサー)。そこには、ぬいぐるみとしゃべることで生きづらさと向き合う学生たちが集まっていて――。小説家・大前粟生の「ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい」を『projection(21世紀の女の子)』『眠る虫』の新鋭・金子由里奈監督が実写化した本作。相互理解や対話といった、いまの社会に必要とされるものを切り取った繊細かつ切実な一本に仕上がっている。
装苑オンラインでは、主人公の新入生・七森を演じた細田佳央太さんと、本作で長編商業デビューを飾った金子監督の対談をお届け。作品と歩んだ日々、そして社会に対するまなざしを語っていただいた。
photographs : Jun Tsuchiya (B.P.B.) / styling : Kentaro Okamoto (Kanata Hosoda) / hair & make up : Ayaka Kanno (Kanata Hosoda) / interview & text : SYO
『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』
京都のとある大学にある「ぬいぐるみサークル」(ぬいサー)を舞台に、「男らしさ」「女らしさ」のノリが苦手な大学生・七森と、七森と心を交わす麦戸、そして彼らを取り巻く人々を描く。『おもろい以外いらんねん』『きみだからさびしい』などの小説家・大前粟生の同名の小説を原作に、映画版ならではのエッセンスも加えて現代の日本に生きる大学生達の心の機微をすくいとった。
監督:金子由里奈
脚本:金子鈴幸、金子由里奈
出演:細田佳央太、駒井蓮、新谷ゆづみ、細川岳、真魚、上大迫祐希、若杉凩
この映画には、テンポの良い会話がそぐわないと思っていました。――金子由里奈
――本作を拝見し、ナチュラルな会話、言葉選びが印象的でした。それがリアルな痛みにつながるとも感じましたが、金子監督は小説を脚本→映像化していくうえでどのような工夫をされたのでしょう?
金子:脚本は兄の金子鈴幸と一緒に作っていきましたが、「原作のセリフが素晴らしいからあまり変えずにいきたい」とは話していました。ただ、文字上ではよくても映画となると「セリフ」として演者さんが言うことになるわけですから、また事情は異なってきます。役者さんの身体から自然と出る言葉であってほしいとは思っていました。ただ結果的にそうなったという感覚で、私自身も皆さんに明確に言語化してそう伝えられたわけではありません。
何が正しいかわからず、私自身も不安で悩んでいたため、俳優の皆さんが一緒に「こういう話し方がいいんじゃないか」と考えてくれたんです。それぞれが考えてくださったやり方で役や言葉を体現して下さったので、フィクションの中でもリアルに近い言葉が出て来たのかなと思います。
あと、この映画には「テンポの良い会話」がそぐわないと思っていました。そのため、変なタイミングで話し始めたり、疑問に思いながらしゃべりだしたりと、よどみのある発話を意識していました。
――確かに、「おそるおそる話す」であったり、言葉を発することに対するためらいが印象的でした。七森を演じられた細田さんはいかがでしたか?
細田:考えてもわからないことだらけだったので、考えることをやめました。僕自身、演じていて「何が七森なのか?」「七森っぽいセリフって?」と考えるのも難しかったし、セリフの言い方についても毎カットごとに変わったように思います。実際に喋るときって「うーん」とか「○○でさ」みたいに言いますよね。台本に書かれているように、きれいな言葉の紡ぎ方はできないものです。今回はそういった部分を取り込める現場で、無意識的に、セリフの中に考える間(ま)が入っていきました。そうした部分が、いわゆる「芝居っぽくない」にハマったのであれば良かったです。
金子:私も俳優さんも「わからない」ということにずっと向き合っていたから、登場人物と同じように言葉を発することにためらいがありました。「これで正解だ!」とズバッと言うのではなく、「これで合ってるかな?」と探りながら喋っていたからあの雰囲気が出たのかなと思います。
――「ぬいぐるみと話す」は現場で実際にやってみないと見えない部分も多かったかなと思います。
金子:撮影前に自宅で話しかけてみたのですが、めちゃくちゃ難しかったです。独りごとともまた違って、うなずく存在が目の前にいるという状況が歪でした。ちょっとパフォーマンスっぽくなってしまうんですよね。
でも、“ぬいサー”のみんなは、自分の弱さを見つめるために「ぬいぐるみとしゃべる」というパフォーマンスを行っている側面もあると思うんです。ぬいぐるみとしゃべることで、他者と話すため・声を出すための滑走路を作っているといいますか。
映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』より
――ぬいぐるみとしゃべる声の大きさひとつとっても、正解を見つけるのは難しそうです。映画だと、観客の存在によって「ぬいぐるみとしゃべる人を“見る”」という新しい視点も生まれますし。
金子:撮影前にぬいサーのメンバーで本読み(台本の読み合わせ)を行ったのですが、やっぱり「ムズい……」という雰囲気になってしまいました。ただ、それぞれが座っている椅子を「一つの部屋」と認識してもらい、「自分の部屋で一人で話していて、隣の部屋から声が聞こえてくるイメージで話すとどうでしょう?」と提案したら、しっくりくる感じで演じて下さったんです。部室でそれぞれがぬいぐるみと話すシーンは、「個々の部屋が集まっている」という感じで作っていきました。
何かを作るうえで、誰も傷つけないのはやっぱり無理だと思います。そのうえでどうするか。――細田佳央太
希望もあると信じて、自分が考え得る限りの丁寧な暴力にするという感覚です。――金子由里奈
――細田さんは「ぬいぐるみとしゃべる」経験を経てどのような気づきを得ましたか?
細田:わかりやすいところでいうと「目が付いているぬいぐるみは話しづらい」ですね。「目は口程に物を言う」ではないですが、目が発している情報量ってものすごいなと再確認しました。嘘をついたときや、本当は嫌だけど勢いで「うん」と言っちゃったときなど、目の動きには本音がわかりやすく出ます。
ぬいぐるみは僕らと同じように感情があったり、命が動いていたり血液が流れているものではありませんが、「目がある」というだけでそれくらいのエネルギーをこちらに投げてくる感覚がありました。だから目があるぬいぐるみと面と向かうのは大変でしたね。そういった意味で、劇中に登場する瞳のないぬいぐるみの「おばけちゃん」は話しやすい存在でした。
映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』より。おばけちゃん
――非常に面白い視点です。
細田:あと、ぬいぐるみに話しかけて何か返してくれるように感じても、それは結局、僕らの言葉なんですよね。僕ら自身がほしい反応や相槌を「ぬいぐるみが言ってくれている」と勝手に想像して、受け取っている。麦戸(駒井蓮)の「この言葉は私の言葉だから」というセリフはまさにその通りですし、しっくりきました。
金子:この人たちは人を傷つけたくなくてぬいぐるみに話していますが、じゃあぬいぐるみは傷ついていないのか?と思いました。そこで、原作にはなかったのですが「ぬいぐるみを洗う」シーンを追加しました。ぬいぐるみを労わり、休ませている行為が必要だと感じたんです。
映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』より
――いま金子監督がおっしゃった「傷つける」は本作の大きなテーマでありつつ、現代社会で問われている部分でもありますよね。「誰も傷つけずに物語を紡げるのか?」という部分について、おふたりはどう感じていらっしゃいますか?
金子:「物語が誰かを傷つける」ということとは、一生付き合っていかないといけないと思っています。そのうえでなるべく丁寧に、誠実に物語を紡いでいこうという気持ちです。
細田:ある種、割り切る部分は必要ですよね。何かを作るうえで、誰も傷つけないのはやっぱり無理だと思います。そのうえでどうするかですよね。
金子:そう。「傷つける」というと言葉が強いかもしれませんが、映画は例えばセットを組んだり、人だけじゃなくて場所や景色を変えるという暴力的な行為を日常的に行っていますよね。撮影のために道路を封鎖することで、誰かを傷つけてしまっている可能性だってあるわけです。でも、映画が出来上がり、世の中に広がった時の希望もあると信じて、自分が考え得る限りの丁寧な暴力にするという感覚です。
細田:言葉の利便性ではありませんが、言葉を伝える環境が昔に比べてだいぶ発達しましたよね。自分の口からじゃなく、デジタルな文字として発しやすくなったぶん、誰かを傷つけやすくもなっている。無神経な傷つかせ方が増えてしまっている状況下で、誰かを同じように傷つけてしまったとしても、作品を通した“意見”として主張した結果なのであれば、筋が通っていると僕は感じます。もちろん、なるべくそうならないように考えを尽くさないといけないと思いますが。
――そうした中で、本作はトーンにしろテンポにしろ“やさしさ”が光ります。
金子:本作の登場人物は、本当に色々なことに傷ついて、様々な感情がわかっている人たちです。そこでカメラはダイナミックに動いたりせず「観察する視点」を意識しました。
ぬいぐるみの色味については、かわいいけどちょっと奇妙な感じに見えるようなラインを目指しました。ぬいぐるみ視点のカメラはカラーフィルターを入れて、カメラの下にぬいぐるみの胴体を付けて撮影しています。現場では「スタッフさん」と呼ばれていましたが、見えない部分であっても手ざわりなどで俳優陣の表情が変わるんじゃないかとこだわってました。「スタッフさん」はカメラマンの平見優子さんが作ってくれました。撫でているときの音も後から追加しています。
そうした、ぬいぐるみ一体一体に意識が向かうような演出は各部署でおこなっていて、美術部(※映画制作における美術部門のこと)は、ぬいサーの部室にいる600体すべての顔・存在が見えるようにぬいぐるみを配置してくれました。たとえば上から見下ろす形状のぬいぐるみは上の方において、見上げるタイプは下に置いて……といったように。
映画『ぬいぐるみとしゃべる人はやさしい』より。ぬいサー部室
細田:なので最初にぬいサーの部室に入ったとき、「見られている」という感覚になって黙っちゃいました(笑)。ただ不思議と居心地の悪さはありませんでした。同じ600でも、人に見られているときのような“圧”がなかったからだと思います。
金子:美術部が部室にソファやラグも置いてくれたのですが、使用感のあるものを選んでくれました。何もない空間から少しずつ、600体ものぬいぐるみが集まったという軌跡を意識して空間を作ってくれたので、懐かしさや温かさが生まれたのだと思います。
あと観て下さった方が「衣装はニットなど、ふわふわのものが多かったね。ぬいぐるみっぽかった」とおっしゃってくださったのですが、確かに衣装も柔らかい印象のものが多かったなと思います。ぬいサーに対し客観的な視点を持つ白城はレザー素材のジャケットを着ていたり、部員で唯一「腕時計」をしています。それから衣装でぜひ注目してほしいのは、同性愛者のカップルのコーディネートです。「この二人はお互いの服を着回している」という設定があって、親指にお揃いのリングをしていたりお互いの関係値が見えるものにしています。
同性愛者の方はこれまで、葛藤にフォーカスした描かれ方が多かったように感じます。でもこの映画では、二人がただそこにいて愛し合っていて、そのことを楽しんでいることを普通に見せたいという想いもありました。
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