注目の新鋭、『aftersun/アフターサン』
シャーロット・ウェルズ監督が“余白”を映画に取り入れる理由

2023年の米アカデミー賞は、映画会社A24の年だった。同社が製作や北米配給(あるいはその両方)を手掛けた『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』が最多7冠、『ザ・ホエール』が2冠と主要部門を独占したのだ。

そのA24がほれ込んだ作品であり、初長編監督作にしていきなり米アカデミー賞主演男優賞ノミネート(ポール・メスカル)の快挙を成し遂げた逸材がいる。『aftersun/アフターサン』(5月26日公開)を手掛けたシャーロット・ウェルズ監督だ。

離れて暮らす30歳の父カラム(ポール・メスカル)とトルコ旅行にやってきた11歳のソフィ(フランキー・コリオ)。あのときはわからなかった父の孤独を、父と同じ年齢になった娘の目線で回想する物語。説明的なセリフやシーンを極力入れず、愛する人の“わからなさ”を豊かな余白で描き切った俊英は、どのようなクリエイティブの思考を有しているのか。初来日を果たしたウェルズ監督に、話を伺った。

photographs : Jun Tsuchiya (B.P.B.) / interview & text : SYO

『aftersun/アフターサン』
11歳の夏休み。ソフィは普段別々に暮らし、まもなく31歳になろうという年若い父、カラムとともにトルコのリゾート地を訪れた。カラムは旅行のために手に入れた家庭用ビデオカメラで、かけがえのない時間を記録する。親密で楽しい旅の中で、時折、カラムの苦悩が顔を見せ始める。ある晩、ソフィとカラムは口ゲンカをしてしまいーー。
監督・脚本:シャーロット・ウェルズ
出演:ポール・メスカル、フランキー・コリオ、セリア・ロールソン・ホールほか
2023年5月26日(金)より、東京の「ヒューマントラストシネマ有楽町」「新宿ピカデリー」ほかにて全国公開。ハピネットファントム・スタジオ配給。©Turkish Riviera Run Club Limited, British Broadcasting Corporation, The British Film Institute & Tango 2022

ものづくりをする面白さは、自分が予期せぬ何かが生まれること

――A24が北米配給を手掛け、第95回米アカデミー賞主演男優賞にノミネート、第76回カンヌ国際映画祭の批評家週間のオフィシャルポスターに採用される等、本作のうねりがどんどん広がっている印象です。ウェルズ監督ご自身はこの流れをどう受け止めていらっしゃいますか?

シャーロット・ウェルズ:初長編であり、自分のクリエイティビティを全て捧げた作品が多くの方に見てもらえているのは幸運ですし、特別な経験です。去年のカンヌ国際映画祭のエンドクレジットが流れた瞬間から、この映画での観客の皆さんとの旅が始まったのですが、初めて観てもらえたときにあれほど大きな反響を得られたこと、特に若い世代の共感を得られたことに自分自身驚いています。

それはカンヌだけではなく、異なる国で映画が上映されていっても同じでした。その土地に暮らす、多くの20代前半の若者が感情移入してくれたんです。理由としていくつか「こういうことかな?」と思い浮かぶことはあるものの、私自身まだ明確な答えを得られていません。

――自分はウェルズ監督と同じ1987年生まれなのですが、ソフィア・コッポラ監督の『SOMEWHERE』や本作にもプロデューサーとして名を連ねているバリー・ジェンキンス監督の『ムーンライト』、或いはグザヴィエ・ドラン監督の作品など、自分が通ってきた映画のニュアンスを随所に感じました。

シャーロット・ウェルズ:私も、ソフィア・コッポラやバリー・ジェンキンスの影響はしっかり受けています。特に『ムーンライト』の中で水面に月光が映し出されるシーンは何度も思い返して参考にしました。

そして、同じ大学に通い、これまで一緒に作品を作ってきた仲間たちからも多くのインスピレーションを与えてもらっています。今作の撮影監督であるグレゴリー・オークと、編集を務めたブレア・マックレンドンですね。本作のレイヴシーンは、ブレアが監督し、グレゴリーが撮影した短編映画にインスパイアされています。『インスペクション ここで生きる』(2023年8月4日公開)の監督エレガンス・ブラットンも、同じニューヨーク大学ティッシュ芸術学部の大学院出身です。彼も今回が初長編劇映画で、『aftersun/アフターサン』と一緒に映画祭を回ったり、アワードシーズンを一緒に過ごしました。

ダンス音楽を一晩中流す大規模なイベントのこと。『aftersun/アフターサン』の劇中ではレイヴシーンが何度もフラッシュバックし、重要な役割を果たしている。

――いまお話に挙がったレイヴシーンは、本作を象徴するものかと思います。制作過程でカットされる可能性もあったとか……

シャーロット・ウェルズ:周りの人に「ここは必要ないのでは?」と言われたこともありましたが、大切な部分と感じていたので抜くことはしませんでした。ただ実は、オープニングのレイヴシーンは当初は想定していませんでした。作っていくなかで「レイヴシーンのフラッシュバックが序盤から積み重なってクライマックスにつながっていき、それがこの映画のクリエイティブな要素になる」と気づき、これがなければ本作は完成しないと感じるようになりました。ものづくりをする面白さは、自分が予期せぬ何かが生まれて、それを見つけることにあると思いますが、まさにそんな経験でした。

――ということは、レイヴシーンをリフレインさせる演出は後から生まれたアイデアだったのでしょうか?

シャーロット・ウェルズ:そうですね。この場面が重要だと気づいてからは、まずは冒頭とラストに置くことを考えました。進めていく中で、後から回数を増やしたような形です。完成品と初期段階でそこまで大きな違いはないのですが、落としたシーンとしては「大人になったソフィが過去の休暇のシーンに登場する」というものがありました。霊的な存在として、全体を俯瞰し父カラムと対面するという設定だったのですが、そこまで効果的に描けていなかった上に、観客が登場人物に共感しにくくなってしまうと感じて、やめました。その代わり、人物の感情をどう効果的に描けるかと考えてレイヴシーンを増やしたのです。今作では、自分自身に降りてきた直感を大切にしていました。

何か伝えたいことがあり、それをどうしても世に出したいという想いがあるのならやはり戦うことが大切

――レイヴシーンもそうかと思いますが、『aftersun/アフターサン』には観客の想像力を誘発する仕掛けが多く用意されています。“余白”を大切にした豊かな作品だと感じますが、この作家性を守るために戦わなければならない瞬間もあったのではないでしょうか。というのも、時代の一つの流れとして、観客を誘導するような「わかりやすい」「情報量多め」な作品のほうが企画が通りやすい側面があるような気がしていて……。

シャーロット・ウェルズ:これは日本語で出る記事だからこそ素直に答えられるのですが(笑)ーー、おっしゃる通り、戦わないといけませんでした。やはり、あれだけの余白があると、製作側はどうしても不安になってしまうものだとも思います。

最初に編集した映像を見てフィードバックをくれたのは、そのうちの一人でも難色を示したら企画自体が通らないかもしれないほど力を持っている人々でした。そういった人たちと戦って信頼を得て、何とかこの形を保ったという経緯があります。

――それは大変でしたね……

シャーロット・ウェルズ:ただ一人で立ち向かったわけではなく、一緒に作品を作ったコラボレーターたちも共に私のクリエイティビティを支えてくれました。お陰で、自分自身の考えを貫けたのです。

先ほどおっしゃっていたような「わかりやすいものが好まれる」という傾向は、日本のみならずイギリスでもアメリカでも、全世界的に共通するものだと思います。ただ、何か伝えたいことがあり、それをどうしても世に出したいという想いがあるのならやはり戦うことが大切だと私は信じています。簡単なことではありませんが、そうしなければ自分が本当に作りたいものは作れないと思います。

――映画のように多くの人が関わり、資金も必要な作品なればこそ「戦う」という確固たる意志が必要なのですね。ウェルズ監督が貫いた「余白」への想い、ぜひもう少し教えて下さい。

シャーロット・ウェルズ:最初は意図していたわけではないのですが、短編を作ったことで「観てくれた人それぞれに様々な解釈があるんだ」と気づいたことが、きっかけだったと思います。それは決して曖昧に作るということではありません。ただ私自身が伝えたいのは、事実よりも感情なのです。そうした想いをもって映画を作っていくなかで、自然と観客へ委ねるような、余白の多いスタイルが確立されていきました。

『aftersun/アフターサン』はこれまで作っていた短編より時間をかけて作ることができたので、特に“余白”や人々の解釈の多様さを意識して制作を進めていきました。ただ、こうした手法は、決して新しいものではないと思います。時間の使い方や余白の取り方、観客が考えて漂ってまた戻り、「どのように解釈したらいいのか」と思いを巡らすような“スローシネマ”は、これまでもあったジャンルです。ただ最近のメインストリームの映画では見られないため、新しく感じられるのかもしれませんね。だからこそプロデューサー陣にとってはリスキーに感じてしまうのだと思います。

――本作では寝ているカラムを接写したり、逆にすごく引いていたり、あるいは人物が見切れていたりと印象的なショットが多数あります。撮影監督のグレゴリー・オケさんとはどのような話し合いを経て、シーンを作っていったのでしょう。

シャーロット・ウェルズ:グレゴリーとは撮影に入る何カ月も前からディスカッションを重ねていました。毎日のように電話して、脚本1ページにつき1時間かけて話し合うくらいでした。ただショットリストをつくるだけではなく、本作における映像言語をどのように表現して感情を伝えていくかを重点的に掘り下げていきました。

例えば100メートルくらい向こうにカラムがいるけれど、声だけが凄く近くに聞こえたり、カラムが座っている様子が何かに遮られていたり……。本作はソフィーの記憶の中での父親像を描く設定のため、写真越しに人物を見ているような感覚であったり、カラムとカメラの間に常に障害物を置くようにしました。それによって「父親のことを完全には理解できていない」ことを表現しています。

グレゴリーとは毎日のようにバトルを繰り広げましたが(笑)、親友だからこそできたことだと思います。彼無しでは決して作れない画になりました。

「このような経験はもう彼女にさせられないと思う」。

――もうひとつ伺いたいのは、ポール・メスカルさんとフランキー・コリオさんのふたりと過ごす時間を、クランクインの2週間前から取った点についてです。日本だと「俳優陣の準備の時間が取れない」ことが問題視されているのですが、『aftersun/アフターサン』においてはどのようにしてこのプロセスを実現させたのでしょう。

シャーロット・ウェルズ:2週間の準備期間を取るのは、アメリカやイギリスの映画業界でも稀だとは思います。ただ私は長編初監督ということもあって、その辺りの慣習を知らなかったんです。そこで素直に「2週間は欲しい」と伝えました。そもそもその考えが生まれたのはキャスティングディレクターが「最低でも準備に2週間は必要だと思う」と言ってくれたから。なのでプロデューサー陣もサポートしてくれて、きっちり時間を確保してくれました。

タイミングも良かったように思います。ちょうどフランキーのエージェントが彼女の新たな作品を探していたときでしたから。そのエージェントが「このような経験(2週間の準備期間)はもう彼女にさせられないと思う」と言っていましたね。そのことで、これはレアケースだったんだと感じました。

映画の準備期間というのは、ひとえに資金やリソースに比例します。であれば、工夫次第で時間は確保できるのではないかと感じていますが。

――クリエイターを勇気づける言葉を多く下さり、ありがとうございます。余白もそうですし、その人にしか描けない個人的な作品が世界に広がっていくという意味でも、『aftersun/アフターサン』は多くの作り手に希望を与えたのではないでしょうか。

シャーロット・ウェルズ:そう言っていただけると、次回作に向けて私自身も勇気と希望を感じられます。最初は、イギリスに住む30代半ばのバックパッカーにしかこの映画を理解してもらえないんじゃないかと考えていました。それが世界中に広がり、感情移入をしてもらえるなんて。作り手が過剰に説明し、観客をコントロールするように全部を理解させようとしなくても、観る人はそれぞれのやり方で作品をしっかり感じ取ってくれるのだと改めて思いました。

だからこそ、私は「現代の観客は過小評価されている」と思います。父と娘の関係性を描くことで伝えたかった感情を、各々の道のりで受け取って下さる方が世界中にいたわけですから。自分が共感できる部分をピックアップして、そこから全体を理解していくプロセスはとても刺激的なものだとも思います。何か一つでも観客にとって共感できる部分があれば作品は理解してもらえるんだということに、今回、気づかせてもらえました。

Charlotte Wells ● 1987年生まれ、スコットランド出身。ロンドン大学キングスカレッジの古典学部で学んだ後、オックスフォード大学でMA(文学修士号)を取得。金融関係の仕事や映画スタッフのエージェンシーの仕事を経て、ニューヨーク大学ティッシュ芸術学部の大学院プログラムに入学。在学中、3本の短編映画の脚本・監督を手がけ、2016年に初監督作となる短編『Tuesday』を発表。短編2作目『Laps』(‘17年)が、2017年のサンダンス映画祭の編集部門でショートフィルム特別審査員賞を受賞。また、サウス・バイ・サウスウエスト映画祭の短編ナラティブ部門の審査員特別賞を受賞。現在はニューヨークを拠点に活動する。

『aftersun/アフターサン』
WEB : http://happinet-phantom.com/aftersun/index.html