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『魂のまなざし』アンティ・ヨキネン監督インタビュー
100年以上前を生きた女性画家の映画が、いまに語りかけることは

 フィンランド、ご存じのようにムーミンを生んだトーベ・ヤンソンを育み、マリメッコ、イッタラといったモダンなデザインのカンパニーでも知られる国。ウクライナに侵攻したロシアと国境を隣接し、今年になってからは、世界最年少の女性大統領であるサンナ・マリンの下、NATO(北大西洋条約機構)加盟を目指すなど、激動の変化を迎えている。ジェンダーギャップ指数では長年世界5位以内をキープし、限りなく男女平等を実現する国でもあるが、これは先人たちが努力して獲得してきた女性の権利の上に成り立つ。
 そんなフィンランドがヴィジュアルアーツの日として制定しているのはある女性画家の誕生日である7月10日であることをご存じだろうか。
 生きていたら今年で160歳。彼女の名はヘレン・シャルフベック(1862-1946)。
 ヘルシンキの国立美術館、アテネウム美術館では、今年の3月まで、20世紀のモダニズムにおける女性芸術家の役割と立場を検証する展覧会「The Modern Woman」が開催され、その筆頭にヘレンを挙げていた。彼女が画家として評価を定めた50代にしての初個展と、その折に出会った年下の男性との恋愛を軸に、アーティストとして研ぎ澄まされた時期を描くのが、映画『魂のまなざし』だ。彼女の生き方には多くの示唆があるというアンティ・ヨキネン監督に制作意図と演出について聞いた。

interview & text : Yuka Kimbara

『魂のまなざし』
監督:アンティ・ヨキネン出演:ラウラ・ビルン、ヨハンネス・ホロパイネン、クリスタ・コソネン、エーロ・アホ、ピルッコ・サイシオ、ヤルッコ・ラフティ

舞台は1915年のフィンランド。画家のヘレン・シャルフベックは忘れられた存在となり、高齢の母と田舎で暮らしていた。最後の個展から何年も経っていたある日、画商が訪れ小さなあばら家にあふれていたヘレンの絵を発見する。その才能に驚嘆した画商は、首都ヘルシンキで大規模なヘレンの個展の開催を決意。個展は無事に開催され、そこでヘレンは森林保護管でアマチュア画家でもあった19歳年下の青年エイナルと出会う。エイナルはヘレンの作品の崇拝者だったが、やがて彼女の愛の対象となる。フィンランドを代表するモダニズム画家、ヘレン・シャルフベックを描いた映画。
東京・渋谷の「Bunkamura ル・シネマ」ほかにて全国順次公開中。オンリー・ハーツ配給。(c)Finland Cinematic

本当の意味で強い女性は案外少ない。加えて映画で描けるほどの女性はもっと少ない。だからこそ、ヘレンの人生を描こうと決めたのです。

――ヘレン・シャルフベックは日本では2015年に、東京藝術大学での大回顧展で広く知られるようになった作家です。彼女は生きていれば今年で160歳ですが、その人生にはロシアからのフィンランドの独立戦争、第二次世界大戦という二つの戦争がありました。18歳の時、パリへの留学を手繰り寄せた絵は「雪の中の負傷兵」だったということもあり、映画の中では迫りくる戦争の予感を見つめているような心象風景も描かれます。奇しくも今、ロシアのウクライナ侵攻という戦争を見ている私たちの心境とも重なる部分が多い映画かと思いますが、監督はどう思っていらっしゃいますか?

アンティ・ヨキネン:この『魂のまなざし』という映画を作ろうと思ったのは4年前のことだったので、今年、ウクライナに起きた出来事と映画には何の関係もないと言えます。ただ、すごくいい質問だなと思うのは、フィンランドとロシアの間には長い国境があり、これまでの歴史において、特に戦争という局面においては、フィンランドは常にロシア側から何かしらの加担を受けてきた影響があるわけです。そしてそういうフィンランドにおいて、ヘレン・シャルフベック自身は、「自分は人間主義だ」「私は政治とは無関係だ」と主張してきた、それがとても大事なことだったと思います。
 彼女が何故、そう言い続けたかというと、フィンランドで何が起きようとも、芸術家の立ち位置として、「一切関係ありません」という姿勢でいることが、彼女自身を救ったからと言えると思います。彼女が絵を描いていた時期は、ロシアの共産主義の嵐がフィンランドの中に深く入り込んでいた時期と重なります。映画の中で、ヘレンが女の子を描いているシーンがありますよね。映画ではそれ以上のことを語っていませんが、モデルとなった少女の両親はロシア側に連れさられ、殺されたという事実が隠れています。そのことをあえて描かなかったのは、ヘレンの人生を描くにあたって、当時の政治状況とは一線を画したかったからという意図があります。

――ヨキネン監督はこれまで、ヒラリー・スワンクを主演に迎えた『ストーカー』(2011年:原題「The Resident」日本未公開)や、『Purge』(2012年・日本未公開)など、ある閉塞的な状況に置かれた女性が戦う物語を作っています。ミステリーや、ホラーテイストなど、ショッキングな演出を多用されていたので、今回、台詞も少なく、終始抑制された静かな作風で描かれたことに驚きました。演出的に、どういう転換があったのでしょう?

アンティ・ヨキネン:私自身、ヘレン・シャルフベックの長年のファンでした。以前はプロットを中心とした物語の描き方を映画の中で展開していたのですが、今回はもっと、雰囲気を重視し、ヘレン・シャルフベックのスピリットを描きたいということが念頭にありました。私は強い女性を描くのが好きです。でも、戦争を前面に出したり、ショッキングな演出をすることは、もう正直いいかなと感じていたんです。そうしたところ、前作の映画の成功によって、予算的に挑戦できる状況が可能となり、ならばとにかく自立した女性を描きたいと思いました。でも、本当の意味で強い女性は案外少ないんですよね。加えて映画で描けるほどの女性はもっと少ない。だからこそ、ヘレンの人生を描こうと決めたのです。

『結婚しなさい』という社会的なプレッシャー。それが母娘にとって一番の問題だったのではないでしょうか。

――映画の冒頭、50代の彼女がインタビューを受ける場面から始まります。記者に「女流画家なのに、なぜ美しいものを描かないんだ」と聞かれ、他の場面でも女性画家であることに対しての固定観念を持ち出され、辟易する描写があります。でも、もっと彼女を辟易させたのが母親との関係です。ヘレンは、母親の抱く理想の女性像、理想の娘像と相いれないことで、何かと衝突しますね。

アンティ・ヨキネン:母親は娘の持つ愛情や情熱について、もちろん気にかけていたは思いますが、なにしろ、『娘が結婚してくれたら』『娘の元に頻繁に訪ねてくるこの男性が我が家の一員になったら』という思いの方が先に立ってしまう。母親のモチベーションは、ヘレンの結婚によって、家族の中に男性が存在することだったんじゃないかと感じることがあります。ヘレンは時代に先駆け、フィンランドからパリへ留学し、最新のファッションに触れ、美しいものを多く目にし、美に対する愛情を生涯求めていくことになります。しかしながら、1900年代初頭のフィンランドでは、結婚してしまうと相手の家に入らなくてはいけなかった。それが社会のルールだったのです。結婚すれば絵を描けなくなってしまう、絵を描き続けていたい、その意思がヘレンを結婚から自分を遠ざけた主な理由だったと私は考えています。
 そもそも、誰であっても、一生ずっと一緒に住み続けなくてはならないとなると、どこかしら人間関係に毒々しさが生まれてきます。あの母娘にはもちろん愛情もあったし、信頼もあった。でも、それ以上に勝ったのが、『結婚しなさい』という社会的なプレッシャーであり、それが母娘にとって一番の問題だったのではないでしょうか。ヘレンは芸術への誠実さを保ち続ける姿勢の持ち主で、社会的な抑圧に対して常に反逆者的な立場であったと思います。男性をとるより、ファッションをとるより、お金をとるより、絵を描くことを選んだ。まさに芸術を選んだ女性だと思います。

――娘が展覧会を機に親しくなった19歳年下の男性との恋が破綻しかけたとき、母はパリからヘレンが定期購読していた最新のモード誌のイラストを指さし、彼の来訪に合わせて、「これを作るわよ」と二人で夜なべして、服を作るという印象深いエピソードが挿入されますね。あのシーンを入れた理由は?

アンティ・ヨキネン:それはとてもいい質問ですね! あそこに気づいてくれてありがたいな。あの母娘の関係を読み解く鍵となる場面です。あの場面を見ると、観客も母親がそこまで悪い人ではないと、どこかで理解してくれるのではないでしょうか。私自身、悪い人を描くのは嫌いじゃないのですが、悪い人として描かれる人には、そこに追いやられてしまう状況があるんですよね。悪く見える人にも、多少なりとも良心が必ず心の中にあると感じ、あの場面を作っています。

――個人的には、19歳年下のエイナル・ロイターとの仲が深まっていく場面よりも、女友達のヘレナが定期的にヘレンの家に通い、創作中の絵を見て批評してくれることが、ヘレンの芸術性を高めたのではないかと感じました。いわゆるシスターフッドの関係性を映画の中であえていれた意図は?

アンティ・ヨキネン:映画ではヘレナ・ヴェスターマルクという一人の女性しか出てきませんが、実際、ヘレンには絵描きの女性の仲間がたくさんいました。特に近しい存在として4人の女性画家の存在が欠かせません。ヘレナはその4人をひとりの人格に凝縮したキャラクターなんです。ヘレンはその4人の画家と頻繁に文通をしていました。すごく手紙を書く人だったんですね。同じ画家仲間の友情を描いたのは、ヘレンにも交流関係があったことを描きたかったし、友情を通して、女性アーティスト同士が、正しい方向へ向かって行こうとしたやり取りを描きたかったから。彼女たちは男性社会の中でフェミニストとして、お互い支え合っていたのです。

こだわったのは、布、筆、絵の具、釘ひとつまでヘレンが絵に使ったものはすべて当時のものをイギリスやフランスから取り寄せたこと。

――ヘレン役のラウラ・ビルンさんの絵と向き合う鬼気迫る表情がとても印象深いのですが、彼女ともども、ヘレンの創作を表現する上で格闘されたことは?

アンティ・ヨキネン:ヘレンの絵に関する表現が一番苦労したところですね。300万ユーロもの予算をかけています。こだわったのは、布、筆、絵の具、釘ひとつまでヘレンが絵に使ったものはすべて当時のものをイギリスやフランスから取り寄せたこと。筆を入れる前のキャンバスから当時の材料で再現しましたし、ヘレンの絵の行程も表現するために、一つの絵が完成するまでの段階もパターンを変えて用意しました。これらはロシアのアーティストに依頼して、たくさん絵を準備してもらいましたし、絵を描いてからの経年変化も計算に入れて、作っています。
 ただ、シャルフベックのスタイルは独特で、ユニークなので、そこは描きやすかったと思います。とにかく、撮影中よりも、撮影前の準備が一番難しい作品でした。

――装苑の読者の中にはヘレン・シャルフベックの絵を今回の映画で初めて知り、触れるという層が少なくないかと思います。監督が、彼女の世界に触れるために、最初に見てほしい作品はなんですか?

アンティ・ヨキネン:映画の中にも登場する「黒い背景の自画像」(1915)です。こちらの絵は、映画『魂のまなざし』のポスターの元にもなっています。黒字の背景の上部、左右に記入された、擦れた金の文字は、彼女の名前で、自らの墓石として記したと言われています。まずここから入ってみてはどうでしょうか。

『黒い背景の自画像』がカバーとなったヘレン・シャルフベックの画集。


アンティ・ヨキネン  Antti J. Jokinen ● 1968年、フィンランドのヘルシンキから37キロ離れたヌルミヤルヴィに生まれる。バスケットボールで奨学金を得て、米イーストカロライナ大学に留学、後に放送と映画を専攻して卒業。在学中にジム・モリソンの詩をもとにした短編『Fist Full of Sand』を作り、ノースカロライナ映画祭で受賞。MTV幹部の目にとまりNYでMTVのアシスタントプロデューサーとして働くが、大学卒業後フィンランドに戻り自らの制作会社を設立、テレビシリーズやミュージックビデオを制作したが、再びアメリカに渡り、ミュージックビデオのディレクターに専念。ビヨンセ、ウィル・スミス、アナスタシア、セリーヌ・ディオン、久保田利伸などのビデオを多数手がけた。
2015年の『ラストウォー1944 独ソ・フィンランド戦線』(原題・The Midwife)は過去25年間におけるフィンランド最大のヒット作となった。2016年『Flowers Of Evil』(上海国際映画祭監督賞)に続く長編5作目が『魂のまなざし』。

『魂のまなざし』
WEB:http://helene.onlyhearts.co.jp/