movie pick up!! 中村倫也さんと、映画と服の話をしよう 『人数の町』

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interview & text : SYO
photographs : Jun Tsuchiya(B.P.B.)

押しも押されぬ人気実力派俳優・中村倫也。その勢いは、近年増すばかりだ。2020年6月に公開された映画『水曜日が消えた』では、1人7役に挑戦。テレビドラマ『美食探偵 明智五郎』では超然とした雰囲気のグルメな探偵に扮し、新たな魅力を見せつけた。

作品ごとに新鮮な驚きを提供してくれる中村が次に放つのは、日本では珍しい「ディストピアもの」であり、SF要素もはらんだ映画『人数の町』(9月4日公開)。新たな才能を発掘する目的で新設された「第1回木下グループ新人監督賞」において、応募総数241作品の中から準グランプリに選ばれた注目作だ。

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映画『人数の町』より

借金取りに追われ、人生を「詰んだ」青年・蒼山(中村)が招待されたのは、奇妙なルールが敷かれた"町"。そこでは、「ネットにレビューを書きこむ」「身分を偽って選挙投票に行く」「店を訪れた客のサクラをする」といった労働と引き換えに、衣食住が保証されていた。ここは楽園なのか、それとも――。CMプランナー・クリエイティブディレクターとして活躍する新鋭・荒木伸二監督が構築した世界観は、設定もビジュアルも斬新。観る者の感性や倫理観を刺激する、新しい世界が広がっている。

異彩を放つ映画の中で、状況に流され続けるフラットな主人公を巧妙に演じた中村。今回のロングインタビューでは、『人数の町』の魅力はもとより、中村の人生観がにじむ役者論、さらには影響を受けた映画や衣装への想いなど、ディープに語ってもらった。

「観察させる」ような映画は今までの邦画にはなかったと感じます

――『人数の町』、極めて新しい映画でした。脚本を初めて読んだ際の感想を、教えてください。

中村:ページをめくっていくときと、読み終えた際の印象が変わる作品でした。

観てくれた方が、すべての物語を観た後でどんな印象を抱くのか。そこは、脚本を読んだ段階から気になるところでしたね。

――ビジュアル的にも、廃墟に電光掲示板を置いたり、従来の日本映画とは一線を画すデザインだったかと思います。

中村:ヨーロッパのミニシアター系の映画のような感覚がありますよね。

作っている最中に思ったことは、「わからせる」作品じゃない。監督が思い描いているテーマには社会派な部分もあるけど、カタルシスを押し付けるわけでもなく、一個一個丁寧に届けるわけでもない。

「観察させる」ような映画は今までの邦画にはなかったと感じますし、異質であり斬新であり、オリジナリティに繋がる部分かと思います。

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映画『人数の町』より

――「観察」、非常にしっくり来るワードです。今回演じられた蒼山についても伺いたいのですが、監督によると「流されやすい」「考えない」人物だと。中村さんは常々「考える」を大切にしている、と発言されていますが、ご自身とのギャップをどう埋めていったのでしょう?

中村:自分の中にもサボりたい瞬間はありますし、年がら年中24時間考えてるわけではないんです(笑)。僕自身、「今日、もう終わり?」みたいに早く帰れると嬉しい人間ですしね。夕方くらいに家に帰って風呂に入って、夕日を眺めながら酒を飲むと「平和だ......」と思います。

そういった自分の中にある「ラクしたい」という部分をフックにして、蒼山という人物の理解を深めていきました。今回は「意識しないことを意識する」というか、口を開けてセリフを言って、みんなの後をとことこついていくイメージです。

共演者にはくせ者も多いですし、なおさら僕がこういう風にいた方が収まりがいいんじゃないか、観ている人もいろんなところに目が行くんじゃないかという感覚でやっていました。

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――なるほど。役作りにおいては、荒木監督と細かく擦り合わせされたのでしょうか?

中村:いえ、あんまりなかったと思いますね。僕は基本、監督や共演者と、あんまり仕事の話ってしないんですよね(笑)。荒木監督とは、ここでは言えないようなCM業界の話をしました(笑)。仕事の話をしたほうがいいのかな......。

もちろん、構成の話はしますよ。「ここはどうしたいの?」とか、「このシーンの後、どうつなげたいの?」とか。ただ、それくらいに留めますね。なぜなら、皆で台本を持ってすり合わせるリハーサルの時間があるから。やっぱり、「百聞は一見に如かず」じゃないですが、「見せ方」とか「どんなプランか」って、言葉だけだとわからない部分が多いんですよ。

――「現場で作る」感覚ですね。

中村:もちろん、コアとなる部分は見極めますが、現場に行って、その空間と照明とカメラの構え方と美術、共演者の呼吸に感度を研ぎ澄ます方が、答えが早いんです。むしろ逆に、「無駄な情報を入れない」という感覚かもしれません。

今やってるインタビューとかもそうじゃないですか。相手のことを調べて、こんなことを聞きたいな、こんな答えを導き出したいなと思っても、「あれ......この人全然そんなノリでしゃべってくれないぞ」って全部白紙になったとき、動きが止まりますよね(笑)。

それよりも、こういう感じで"会話"をする方が、確かであり早い。

「仕事がない=才能がない」だと思って生きてきた

――確かに(笑)。ただ、いま"会話"をしていても、中村さんの「思考力」に驚かされます。やはり「考える」を大切にされているのだな、と感じました。

中村:「人間は考える葦である」なんて言葉がありますが、僕の中で「考える」行為は生きていくうえで結構重要なものです。

若いころ仕事がなくて時間があったぶん、人よりも考えなければならないと思っていました。「仕事がない=才能がない」だと思って生きてきたので。

社会に出てから、よりその必要性を実感するようになって、考える癖がついているところもありますし、逆に「考えすぎだよ。もっと流されたら楽なのに」って思うこともあるんですよ。でも、どうにもできない"習性"が身についてしまっていますね。それがいいことか悪いことかは、わからない(苦笑)。

ただ、考えないと"個"が保てないじゃないですか。そのアウトプットを社会性とか協調性に合わせていけばいいだけで、その"個"自体はみんな持っていていいんじゃないかと思います。

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――先ほど今回は「意識しないを意識する」とおっしゃっていましたが、現在の中村さんの芝居における「考える」のスタンスは?

中村:もちろんたくさん考えますが、現場に入ったらその「自分の考え」は1回捨てないといけない。そのうえで、嗅覚と経験値と感覚と理論を総動員して現場にいる感覚ですね。

例えば演じるうえで、「直感」と「熟考」が対極にあるものだとしたら、それぞれの選択肢は経験を重ねていく中で広がってきました。演技のアプローチをどこでどうチョイスするか......もちろん思った通りにいかないときもあります。ただその結果、現場で起こったことを確かなものとして、信じてあげなくちゃいけないとも思う。

総じて、悩む機会は増えましたね。

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褒めてくれる記事が出るたびに本当?って思う(笑)

――できることが増えるからこそ、悩みが増えてしまうんですね。悩ましいですね......。

中村:あと、観てくれる方との"ズレ"も怖いですね。

こういう仕事をしてると、いわゆる世間一般とはやっぱり微妙に物差しが違うと思うんです。生きていくうちにズレていくこともあるだろうし。その誤差が怖いし、気をつけていることでもありますね。

どうしても気を遣ってもらえる立場で、外もあんまり自由に出歩けない特殊な仕事ですが、でも特殊でいちゃダメな気がしているんです。観てくださるお客さんと同じ"生活の感覚"を、ちゃんと持っていたい。

――目線をそろえる......。そこまで考えていらっしゃるのは、凄いです。

中村:結局、ズレたまま脚本を読んじゃうと、僕がやることがなくなってしまいますしね(笑)。

小さなことでいうと、スーパーに行って「えらく長ネギが高いな」と思ったり(笑)、いま野菜が高騰しているなということをちゃんと知ってたり、JRの初乗りはいくらなのか......そういった金銭感覚もそうですね。世の中で起こってることを把握しておく。

自分自身、この2〜3年で環境が変わって、生活自体も変わっているのを実感しているからこそ、その意識が強いです。今の自分の受け止められ方とか立場と違うところのほうが、僕にとっては大事なんですよね。

どうしてもこういう仕事をしていると、神輿に担ぎ上げてもらうことが多いですよね。僕が乗らないと他の方も仕事にならないから乗るんですが、糸の切れた凧になっちゃったら、知らないうちに恥ずかしい人間になっちゃうじゃないですか。

ものづくりをするときに、ちゃんと地面に立っている感覚がないと物事の核がつかめないので、ズレが怖いんです。

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――役者としてますます成功されているからこそ、「感覚を保つ」という感覚に至ったんですね。

中村:今の状況は、自分でも不思議です。役者としてより、異性として見られることもありますし。褒めてくれる記事が出るたびに本当?って思う(笑)。そのギャップが埋まらない。自分のバイオリズムもありますが、褒められすぎるとむずがゆいんですよ。

ただ、「キャー」って言われて、いつまでも「えぇ?」って驚いているわけにはいかない。自分自身が慣れていかなくちゃいけない部分はありますが、それが普通になってしまうと居心地が悪い。僕にとっての"普通"ではないんですよね。自分自身ふわふわしちゃいそうなときはあるので、羞恥心を持っていたいなと思います。

そもそも役者という仕事自体、恥ずかしいなと思っているタイプなので、そこは変わりたくない。それが美学でもありますし。

――バランスとりが、難しそうです......。

中村:今は、ギリちょうどいい感覚かもしれない。過大評価されているけど、何とか大丈夫かな(笑)。これ以上褒められたら困っちゃいますが、今は楽しめています。

――監督や共演者の方も、「中村さんは演技を楽しんでいる」とおっしゃっていました。

中村:楽しくないときもありましたよ(苦笑)。若いころは腐っているときもありましたが、自分が主役をやらせてもらえるようになったり、年下の子と一緒に仕事する機会も増えてきて「腐っちゃう時期もあるよね」と思えるようになりました。

ただ根本的には「楽しまなきゃ損だよな」と思うタイプなので、率先して楽しむようにはしています。

自分がこの仕事を「楽しくて、好きで、豊かだ」って思う理由は、創造性があるから。

――「恥ずかしいけど、楽しい」という役者論は、とても興味深いです。

中村:仕事という意味では、スタンスはもう固まってるんです。価値観というか誇りというか信念というか......。

自分がこの仕事を「楽しくて、好きで、豊かだ」って思う理由は、創造性があるから。作る側もそうですし、「想像力を持って観る」って作業は、人間にしかできない。「受け取り方は、それぞれに自由」て、本当に豊かだなと思うんですよね。

色々な人と芝居するのも好きですし、しゃべるのも好きですが、自分以外の人に「俺と同じ感覚を持ってもらいたい」って気持ちは全くない。中村倫也という役者のことも「こう思ってもらいたい」というものは全くなくて、そもそもコントロールできないし、作品と一緒で好き勝手楽しんでもらえれば、それでいい。

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――今回は"座長"ですが、そのスタンスに影響はありましたか?

中村:ないですね。主演でもそうじゃなくても、まったく変わらないですね。いつも通りです。

――どうしてそこまで達観できるのでしょう?

中村:もちろん昔は「目立ちたい」とか「褒められたい」という思いがありましたよ(笑)。

でもどんどん、「見てもらいたい」よりも「勝手に見られてる」が理想になってきたんですよね。芝居を「表現する」っていうよりも、「穴から覗かれてる」という感覚が強くなってきました。カメラに対する意識も、ほぼなくなってきていますね。

――そんな中村さんがいま、目指す先はありますか?

中村:僕の中で役者って、根底に「ままごとの延長」みたいな感覚があるんですが、例えば自分が若いころに観た作品で人生で度々思い返す1本になっているものはありますし、どこかで誰かにとってのそういうものが作れたらいいなと。それは目標というより、僕のスタンスかもしれないですが。

基本、ものづくりが好きなんですよね。自分1人じゃ作れないし、人と一緒にやるから面白い。『人数の町』の現場でも、制約のある中でスタッフが工夫して頑張っている姿を見てキュンとしましたし、「俺も頑張ろう」と思えました。劇中に食事が出てくる機械があるんですが、人力で動かしてますからね(笑)。そういった"手作り感"を見ると、萌えます。

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服ってその人の"憧れ"の一部でもある

――「人生で思い返す1本」のお話が出ましたが、中村さんの記憶に残っている映画をぜひ、教えてください。

中村:まず『水曜日が消えた』でしょ、『星ガ丘ワンダーランド』に『孤狼の血』に......自分の出てる映画ばっかり言ってるな、最悪(笑)。

――(笑)。

中村:うちの母が今思えば映画好きで、レンタルビデオショップによく行ってたんですよ。自分もついていってアニメを借りてもらったりしていたんですが、『スピード』が延々流れていたり、『踊るマハラジャ』のときもあり、『バグダッド・カフェ』のときもあり......。母は主婦で、家事の合間じゃないと観られないから、エンドレスリピートで流していましたね。

そういう環境だったから、子どものころから「映画」に触れる機会は多かったように思います。子どもが見るもんじゃないのも見てたのかもしれません(笑)。

そういった中でいうと......小学校時代に観たもので今でもたびたび見返しているのは、『セブン』とか『フォレスト・ガンプ 一期一会』とか、ドラマだと『ケイゾク』が好きでしたね。

『フォレスト・ガンプ 一期一会』は戦争だったり子どもには衝撃的なシーンもありつつ、手触りとか温もりとか「これが大切なんだな」と子ども心にも思えることが描かれていましたし、『セブン』は人の奥底にある欲を描いていて、『ケイゾク』とともに観てはいけないものを見ているような感覚がありました。

『人数の町』にもちょっとそういう部分はありますよね。そういった「人間の欲」を一つの真理として、受けた刺激が今も残っています。

――ありがとうございます。ちなみに、映画でも小説でも漫画でも、中村さんのインスピレーションの源になっているのは、どういったものでしょう?

中村:インスピレーションか......(考え込む)。インスピレーションといえるものは、草とか花とか、そういったものかもしれないですね。創作物は、完全にお客さんになって楽しめるものしか今は見ていない気がします。

――なるほど、目に映る情景からインプットされているんですね。ただ、先ほどお話にあったように、多忙を極めていらっしゃるかと思います。そんな中で、心を動かす風景をどうやって見つけるのでしょう?

中村:例えばロケ中とか移動している際に、見る風景でしょうか。この前も、ロケ地の近くの木のうろにミツバチの巣があったんです。

ミツバチって、すごく小さいんですよ。スズメバチとかクマバチしか知らないから、かわいかったですね。近くでずうっと見ていました(笑)。

――なごみます(笑)。では最後に「装苑オンライン」の読者の方々に向けて......。『人数の町』の劇中でも、パーカーがキーアイテムとして登場しますが、中村さんの"衣装論"をぜひ、お聞かせください。

中村:人を表しますよね。見た目の印象は大きいですし、そのキャラクターに合う服もそうですが、服ってその人の"憧れ"の一部でもあるじゃないですか。「こう見られたい」という願望がそこにあったり、そういうところも役に入れられたら楽しいなとは、思っています。

役者として、扮装美術というのはその世界に入る入り口の一つですし、特に「衣装や服の力」を普段から感じているかもしれません。

『人数の町』でいうと、蒼山って上は着せられたパーカーなんですが、下に変わったジャージを履いているんですよ。「ジャマイカ」みたいな感じで、「こいつはなんでこれを選んだんだ?」って面白かったですね。

――演じる際に、役を肉付けするサポートにもなるんですね。

中村:そうですね。頼りになる存在です。

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映画『人数の町』より


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Tomoya Nakamura ●1986年生まれ。2005年に俳優デビュー。2014年に「ヒストリーボーイズ」にて舞台初主演。同作で第22回読売演劇大賞優秀男優賞受賞。2018年にはNHK連続テレビ小説「半分、青い。」('18年)に出演。テレビドラマ「美食探偵 明智五郎」('20N/年)ではゴールデン・プライム帯連続ドラマで初主演し話題を呼ぶ。映画『孤狼の血』('18年)、『長いお別れ』('19年)、『屍人荘の殺人』('19年)、『影裏』('20年)、『水曜日が消えた』('20年)など出演作は多数。公開待機作に『騙し絵の牙』、『サイレント・トーキョー』などがある。


MOVIE
『人数の町』
借金取りに追われる青年・蒼山(中村倫也)の前に現れた、謎の男(山中聡)。「居場所を用意する」というその男についていくと、ある奇妙な「町」にたどり着く。
その町の住人は「デュード」と呼ばれ、ツナギを着た管理者「チューター」たちの指導の下、衣食住を保証される代わりに簡単な労働を行っていた。しかしその「労働」とは、別人を偽って選挙投票に行くなど、奇妙なものばかり。この町は一体、誰が何のために作り上げたものなのか? そんな中、行方不明になった妹を探す女性・紅子(石橋静河)と知り合ったことから、蒼山の運命は大きく動き始める。荒木伸二監督・脚本、中村倫也、石橋静河、立花恵理ほか出演。9月4日(金)より、東京の「新宿武蔵野館」ほかにて全国公開予定。キノフィルムズ配給。©2020「人数の町」製作委員会 https://www.ninzunomachi.jp/

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