【From パリ支局】パリの有力アタッシェ・ドゥ・プレス、クキ・ドゥ・サルヴェルトの人生とは?

--文化出版局パリ支局より、イベントや展覧会、ショップなど、パリで日々見つけたものを発信。

アタッシェ・ドゥ・プレスはファッション界に欠かせない職業である。日本でいう広報の役割を担うが、デザイナーの代弁者であり、時にはコンサルタントを務める彼らは、ブランドの成長の鍵を握るキーパーソンでもあるのだ。

パリにオフィスを構えるクキ・ドゥ・サルヴェルト(Kuki De Salvertes)は、長年この仕事に携り、多くの著名デザイナーを育ててきたフランス屈指のアタッシェ・ドゥ・プレスである。その彼の半生を紹介する展覧会「KUKI DE SALVERTES - LA VIE DANS LA MODE(クキ・ドゥ・サルヴェルト-モードの中の人生)」が開かれた。

「モードは人生そのもの」と語るクキが見せたのは、デザイナーやファッションエディターの大量のスナップ写真をはじめ、ショーの映像や自身のポートレートなどである。アタッシェ・ドゥ・プレスは表舞台に出ることのない裏方だが、様々なファッションシーンがコラージュされるその空間は、彼の人生を映した鏡のようなものだ。「35年間モード界で働いてきたので、少し自分と距離を置いて、これまでの活動を振り返るいい時期だと思ったのです。ずっとノンストップでしたから」

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パリのジョイス・ギャラリーで開催された展覧会の様子。©Mylène BO


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展覧会のカタログ。OOBマガジンのスペシャル号として発売された。


17歳でパリに上京したクキは、ファッション界で働くことを熱望していた。生まれ育ったのは、プロヴァンスの小さな街。家は敬虔なカトリックで裕福だったが、厳格な弁護士の父はその思いを受け入れることはなかった。夢を抱くきっかけを与えたのは母である。流行だったクレージュやペルスクープの服を着ていた母は、パリのクチュリエのショーにクキを度々連れて行ったそうだ。色やプリントにあふれていた1970年代である。「大きなショックを受けました。あの頃のショーはモデルが笑い、ダンスするなど、喜びに満ちたものだったのです。私は客席も見渡し、女性たちの服やヘアメークなど、見るものすべてがすばらしいと感動していました!」

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1981年、コム デ ギャルソンの服を着た18歳のクキ。このブランドが大好きで、少しでもお金が溜まると買っていたそう。©Totem Fashion Paris


勘当同然で家を出て、パリに着いた少年が持っていた全財産は400フラン(およそ2万円)。それでもファッションを学びたいと、エスモードの学長に会いに行ったクキは、持参したポートフォリオを高く評価されるのだった。学費が払えないが、長身でルックスのいい彼に、学長はモデルの仕事を勧めたそうだ。こうして1年間、ショーなどに出て貯めた資金で学費を払えるようになった。学校から派遣された研修先は、ジャンポール・ゴルティエ、ティエリー・ミュグレー、アズディン・アライアなど、'80年代のトップクリエイターのメゾン。憧れの世界に大きな一歩を踏み出した瞬間だった。

更なる転機が訪れたのは、アタッシェ・ドゥ・プレスのニコル・チアノとの出会いである。当時、業界で才腕を振るっていた彼女は、研修生だった彼を気に入り、様々な仕事場に同行させた。「プレスオフィスが何をする所なのか、まったく知りませんでした。でもそこで、著名なファッションエディターやデザイナーなど、クリエイティブな人たちに出会えて、とても刺激的だったのです。そして、目指す道はこれだと思うようになりました。ニコルは心の温かい人で、多くのことを学びました。出会って直ぐに母のように思えた人です。両親はしたいことをさせてくれませんでしたが、彼女は逆に『もっとできる!』と励ましてくれた。お金はありませんでしたが、とても幸せでした。新しいモードの世界を知ることができたので」

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オリヴィエ・ティスケンスのショーに出席した名物ファッションジャーナリストのイザベラ・ブロウ。©Shoji Fujii


ニコルのアシスタントを経て、モスキーノ、ヴィヴィアン・ウエストウッドのアタッシェ・ドゥ・プレスを務めたクキは、1992年に自身のプレスオフィス「トッテム(Totem)」を立ち上げた。アヴァンギャルドな若いデザイナーを対象にした小さなオフィスで、その中には数年前から親交があったウォルター・ヴァン・ベイレンドンクもいた。数年後には、ラフ・シモンズ、オリヴィエ・ティスケンス、ヴェロニク・ブランキーノなど、ファッション界に彗星のごとく現れたベルギー勢、アメリカ人のジェレミー・スコットなども加わり、クリエイティブなブランドの宝庫となるのだった。それから25年、ファッション界の第一線で走り続けている彼のオフィスには、約30ものブランドが所属している。

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クキとラフ・シモンズ。©Totem Fashion Paris


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クキとベルンハルト・ウィルヘルム。©Totem Fashion Paris


「人生はすべてが可能です。妥協や譲歩はするべきではありません。本気で成功を望み、モード界に自分の居場所を作りたいのならそれもできる。ただし、情熱を持ち、時間を惜しまず、プライベートさえも犠牲にしなければならない。でも本当に好きなことであればやれるはずです」これは、展覧会を通して彼が伝えたかったメッセージである。

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パリのショールームにて。


<アタッシェ・ドゥ・プレスの視点 Q&A>

--ファッションデザイナーに必要なことは?
今の時代は、国籍や人種などで左右される時代ではありません。大切なのは仕事への情熱と覚悟、そして少しの才能です。私の場合も運が降ってきたわけではないですよ。戦って、働き続けた。デザイナーも同じです。例えば川久保玲は、彼女のエネルギーやヴィジョン、もちろん才能によって、モード界にすばらしいものを作り上げました。今のパリコレクションの中で、私が最もモダンで特別な存在だと思えるデザイナーの一人です。年齢や国籍ではないのです。困難で複雑な時代ですが、愚痴を言わずに仕事をすることです。

--いいファッションデザイナーとは?
答えは簡単。自分のスタイルを持っている人です。今はコピーの時代。皆がコピーし合っている。ですが、いいデザイナーは独自のパーソナルなスタイルを発展させることができる。左右を見回したりせずにね。残念ながら、今の多くのデザイナーはかなり妥協して、他人のために働き、アイデアを与えています。業界は昔よりもずっと複雑になっています。ファッションデザイナーに限らず、クリエーターはもっと自己主張するべきだと思います。ただTシャツが売れるからTシャツを作る、というような妥協は最悪です。自分のパーソナリティ、特別なキャラクターを持ち続けることが大切。私の仕事も同様で、アタッシェ・ドゥ・プレスなら、自分がこれだと思えるもの探し続けるべきです。たとえ今風のブランドでなくても構いません。でも、自分が打ち込めない服を扱うべきではない。そうなったら終わりです。

--この35年で仕事の内容は変わりましたか?
もちろんです。仕事を始めた頃は、携帯もコンピューターもありませんでしたから。電話とファックスがあるだけです。今は世界中の人たちと容易にコンタクトを取れるようになり、情報も素早く入手できます。便利ですが、残念なのは人間関係がバーチャル化し、本当の人と人との交流や会話が断たれてしまったことです。私たちがこのように実際に会って話をしていることは珍しいことなんですよ。

--今の時代、アタッシェ・ドゥ・プレスの役割で重要になっていることは?
オフィスとしては、セレブリティ関係とソーシャルメディア・サービスです。私自身の一番大切な役割は、30年前と変わりません。それは、ファッションエディターとベストな関係を持ち続け、発展させていくこと。私の職務の基本です。最も好きなのは、彼らとデザイナーの間を取り持つことです。デザイナーのメッセージをエディターに伝え、デザイナーには助言もします。それはデジタル化できないことですよ。

--モードとは?
モードはアートではありません。ですが、真のモードは人を美しくし、高揚させ、行動を起させる。そうゆうものです。

text & portrait : B.B.P. Paris

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『装苑』2017年9月号、7月28日発売

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