幼い頃
独り部屋に
背の高い大きな本棚があった。
その本棚の下のほうには
幼い私が読む
図鑑や小説なんかが置いてあった。
本棚の上のほうは
ガラス張りの引き戸のようになっていて
母親や父親が読むような難しそうな本が並んでいた。
そのガラス戸の中にいくつか
表紙がこちらを向くように本が置いてあった。
その中に一冊
とても美しい本があった。
私は
心が震えた。
美しい本。
本の題名は「センセイの鞄」といった。
幼い私は「鞄」という字が読めなくて
ずっと「センセイのカワ」と
心の中で読んでいた。
いつも本棚を眺めるたび
その本が目に付いた。
いつか大人になったら
私はその本を読むのだろうとおもった。
それから何年も月日が過ぎ
高校生になり
私は読書にのめり込み
毎日のように本屋に通うようになった。
それから本屋で
何度も「センセイの鞄」と目を合わせるようになった。
心の中に
幼い頃の記憶がおもいだされてくる。
この本をいつか読む。
でも
今じゃない気がする。
大学生になり
その瞬間がやってきた。
私は自分で
新しい文庫本を買って読んだ。
好きだった。
私はその本が好きだった。
なんだか嬉しかった。
センセイの鞄・川上弘美