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渡部玲

ビューティライター

Akira Watanabe 渡部玲

女性誌の編集部、編集プロダクションに勤務した後に独立。現在は、フリーランスのエディター、ライターとして活動。

ハッカソンが教えてくれたまち、高岡----工芸礼讃

いつの頃からだろう、工芸品や民藝というものも興味を持つようになった。母が芹沢銈介さんの作品が好きだったことに加え、通った高校の隣に民藝館があったのもあるかも知れない。
 今年、富山県主催の「工芸ハッカソン」というイベントがあると声をかけて頂いたとき、ほんの少し迷いはしたものの、すぐに飛びついた。門外漢である私だが、知識や教養の無さからくる劣等感よりもその世界が好きという気持ちが凌いだからだ。
 舞台は、物作りや工芸の町として広く知られる、富山は高岡。「工芸ハッカソン」は、高岡出身の林口さんが富山県と共に企画した。 
 今回は、アート・プロデューサーの林口砂里さんに、工芸への思いやその魅力、そして愛してやまない高岡というまちについて訊く。

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----工芸のまちとして広く知られる富山県高岡市ですが、そもそもなぜそう呼ばれているのでしょう? 工芸が盛んになったのはなぜなのでしょう

林口さん「二つ理由があると考えています。一つは、加賀藩前田家。もう一つに、浄土真宗が挙げられます。そもそも前田家の前に、浄土真宗8代目の宗主の蓮如上人(親鸞上人から数えて8代目の子孫)が、北陸で教化をされたこともあり、北陸一帯が浄土真宗になっていったという背景があります。今でも、北陸は真宗王国と言われているのはそういった理由があるからでしょう。そんな宗教的な背景があり、本山である京都の本願寺から大工さんや職人を招いて寺を建てたことで井波彫刻が始まりました。あれは、もともと寺院仏閣のための彫刻なのです。それから、高岡銅器も時を同じくして仏具をつくるために高岡で始まったと聞いています。当時は、現在の大阪、河内国丹南郡が鋳物の聖地と言われており、その地から優秀な鋳物師を呼び寄せて高岡で仏具がつくられ始めたようです。600年ほど前になるでしょうか、浄土真宗=仏教と仏具との結びつきで工芸が発達したという要素があります。
 もう一方の要素として、北陸の地を治めた前田家の存在があります。2代目の当主である前田利長が、戦国時代の終わりの慶長14年(1609年)に早めに引退されたのですが、その隠居のための城を高岡に築き、開町したという歴史があります。その際に、たくさんの家臣と諸工芸の職人たちを一緒に連れてきました。7人の腕利きの鋳物師を呼び、金屋町に住まわせ、諸工芸が発展。こうして高岡の伝統産業が始まりました。
 前田藩は、皆様ご存知の通り、徳川に次ぐ大きさで豊かな大名でしたから、戦国の世の徳川はその存在を恐れて軍事的な圧力をかけていたのですが、時代が江戸時代になって落ち着いてくると、前田家は徳川家に対して文化で対抗しようと文化に注力するようになったそうです。その影響は時代が移り変わった今でも続いていると感じます。この潮流や文化的な活動は、金沢も同じですね。
 しかし、今の"ものづくりのまち"としての顔から想像するのに反して、順調な発展とは行かず、波乱万丈の運命が待ち受けていたのです。
 開町から5年後には前田利長が亡くなり、さらにその1年後には江戸幕府の一国一城令による高岡城の廃城など、城下町高岡は、大きな存亡の危機に直面してしまいます。
 この事態に三代目当主の利常は、城を築いた利長の高岡への思いを大切に考え、町民の他所転出を禁じ、物資の集積地を整備するなど、次々に産業育成の策を打ち出していきます。それが功を奏し、やがて"加賀藩の台所"として飛躍的な発展を遂げます。職人たちは工芸作りに励み、商人はそれらを売り、北前船で貿易をして富を手に入れたのです。その富をまた、工芸のために使って......を繰り返して行きました。御車山(金鉱や漆など、高岡の工芸の粋を集めた、いわゆる動く美術館とも言えるもの)のお祭りというものがあるのですが、町民は惜しげも無くそこに財を抛つのです。こうして武士ではなく、町民が主役のまち----その今日の礎を築いていったのです。
 鋳物師は、税制の優遇措置など多くの特権が与えられ、加賀藩が廃藩になるまで手厚く保護されたそうです。日本有数の鋳物の産地となっていったゆえんの一つでしょう。
 伝統工芸でありながら、新しい価値を持った鋳物製品を世に送り出している高岡は、現在も全国の銅器生産のトップシェアを誇り、"ものづくりのまち"として世界でも高く評価されています」

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「商品開発」「人材育成」「情報発信」の3つを軸にデザイン活用によるビジネス活性化を目指す、富山県総合デザインセンターは多くの企業を支援。また、同敷地内にある高岡市デザイン・工芸センターでは、高岡の伝統工芸を継承しながら、新しいクラフト製品の開発や新技術・新 素材の研究・開発などを行っている。

----高岡市の誇る伝統工芸は、鋳物の他に何がありますか?

林口さん「高岡の二大工芸は、銅器と漆器です。
 まずは、高岡銅器からお話しましょう。利長公が高岡に城下町をつくった際に、腕利きの鋳物師を呼び寄せたことは先にもお話ししましたが、それが始まりと伝えられています。当初は、鉄鋳物が中心でしたが、江戸中期から銅鋳物も盛んになり、明治期になると高度な技術を凝らした美術銅器が数多くつくられるようになりました。パリ万博で好評を博したことも手伝い、海外に輸出されるようになり、人気を集めたそうです。
 国の伝統工芸品に指定されている高岡銅器は、今もなお全国1位の生産額を誇っています。高岡には、鋳造、磨き、彫金などそれぞれの工程において、高度な技を持った熟練の職人がおり、近年では現代のライフスタイルに合った製品の開発も積極的に行い、それを支える技術は現代のものづくりにも生かされています。
 続いて、高岡漆器について。こちらも国の伝統工芸品に指定されています。この歴史も、利長公の開町に始まり、次々と新しい技法に挑戦することで、発展を遂げてきました。彫刻木地に色漆で彩色を施す技法=彫刻塗や、アワビなどの貝類で山水や花鳥などの模様を付けて表現する技法=青貝塗などいくつもの工程を重ね、加飾することで華やかさを与える演出は、高岡漆器の魅力です」

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高岡銅器の伝統的な着色技法を継承する、モメンタムファクトリー・Orii。美術工芸品や銅像、仏具などに色着けする。近年では、高岡の伝統的な手法を大切にしながらも新たな発色技法に挑み、確立。ひとつとして同じ斑紋はないことで、色には多彩な表情があることを教えてくれる。

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創業明治43年。伝統工芸高岡漆器の青貝加飾の制作を主軸に、建築や家具、金属製品など様々なものを生み出す、武蔵川工房。その長い歴史を支えた技法と「螺鈿をもっと身近なものとして楽しんでもらいたい」との思いを元に積極的に新しい制作にも挑戦し続ける。

----林口さんは、長く東京に暮らされていて、数年前に高岡に戻られたのですよね

林口さん「世界を違うものに見せてくれる価値観に出合えたら、そのモノやヒトをより良い形で世の中に伝えたいと考えています。それが私の仕事だ!と思い、東京では、現代アートと音楽の世界にどっぷりはまっていました。そんなこともあり、工芸は古いものというイメージすら持っていたと思います。その毎日から、高岡と東京を行き来する今に至ったきっかけは、東日本大震災です。皆様も同じように感じられたと思うのですが、いつ、どこで、誰に、何が起こるかわからない----と考えた時に、やりたいことは先延ばしにせずにやっておいた方がいいなぁ、と改めて思ったのです。
 私のやりたいことの一つに、原風景となっている実家の里山で、いつか父と一緒に畑でもしたいという思いがありました。もともと自然は大好きだったのですが、いつかなどといっていられない、状況は変わっていくものですから。それで週末だけ帰るようになったのですが、私の知っている里山が変わっていたのです。自分の大切なものは自分でちゃんと守らなければならない、と気づかされました。そんな中、伝統産業に携わっている同級生に話を聞いたりしました」

----厳しいのですか?

林口さん「売上は、いわゆるバブル期=ピーク時の1/3です。キツい仕事なのにその対価は少ないのですから、廃業などもあり、後継者がいないというのが現実のようです。職人の誇りをもって仕事をする、という価値観も戦後、変わって来ていることもあり、一様に苦労していることを知りました。
 それでも家を継ごう! と決めた人たちは、非常に誇りと熱意をもって取り組んでおられるということもわかりました。工場を回って見学していく中で、先ほどの里山と同じで、もしかすると5年、10年でなくなってしまうかも知れない、と思うと、なんて勿体ないことか! と。だからと言って、私に何かできる訳でもないのですが、それでも私にもできることをやらせてもらいたいと考え、今に至ります。
 それまでは、高岡に戻ることなど考えてもいませんでした。しかし、東京とこちらを行き来するようになってから山で畑仕事をしたり、四季折々の恵みをそこからいただいたり、釣った魚をその場で捌いて食べたりという生活が豊かだ、楽しいと感じている自分に気がつきました。
 そこで、仕事のアテなど何もなかったのですが、思い切って帰ることにしました」

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---最初は、東京を拠点にされたまま、時々高岡に戻られようとされたのですよね

林口さん「はい、でも何かが違うと思い、逆に高岡にいて時々東京に行ってはどうかと考えたところ、すとんと落ちたのです。
 高岡での仕事は、地元の人たちとご一緒する中で、どんどん広がり、私自身が工芸の魅力にはまって行きました」

----林口さんにとって工芸はとても魅力的なものだというのがよくわかります

林口さん「それは、美しいものだから。その美しいものが今の経済システムに合わないという理由でどんどんと失われていくことは人にとってマイナスと言いますか、本来持っている人間らしさ、人間として成り立たしめているものをなくしているんだと感じています。
 例えば、よく晴れた日の夕日が沈む姿の美しさが奪われてしまうとしたらどうでしょう。あって当たり前の美しさが、工芸の世界で失われるかも知れないという危機感を感じたのです。産業として成り立たない、食べて行かれないからやれないという理由で後継者が育たなかったり......。
 結局、人は感情で生きている動物です。心が動かされたり、それによって幸せな気持ちにもなり得ます。その幸せな気持ちにさせてくれる機会が減ってしまったら、生きていくのが辛いのではないか----丁寧な手仕事に出会うことというのは、その都度、美に出会って感動することではないでしょうか。もちろん、心を動かすものは、音楽や美術や小説などもあるでしょう。しかし、もっと身近で、自分自身の手で触りともに暮らすことができる美も大切だろうと思います。だからこそ、私たちに何ができるだろうか、と考えています。文化庁と北陸3県も"国際北陸工芸サミット"により日本の工芸を世界へ発信して行こうとしています。まずは、たくさんの人に知ってもらうことが大切だろうと私も思っています。
 工芸や伝統産業は、日本の特徴的な価値だから、残したり、磨いていくことが日本の生き残る術となるものだと国も考えているからこそ、力を注いでいるのだろうと思っています」

----400年、いや600年もの長きに亘って受け継がれている、高岡の伝統工芸を新しいアイデアを生み出す手法の一つである「ハッカソン」を採用して、「工芸ハッカソン」というイベントを企画しようと思われたのはなぜですか? 

林口さん「国だったり、富山県だったり、高岡市だったり、あるいは実際に現場にいる職人さんたちが色々なことに取り組んでおられます。とりわけ富山は、行政を挙げて尽力しており、新素材を取り入れた試みであったり、デザイナーさんと一緒に新しいものを生み出そうという動きなどはすでにあります。そういう状況の中で、自分が他にできることはなんだろう、と考えました。
 私の強みは、これまで築いてきたネットワークだと思っています。それは、アートや音楽だったり、仏教や科学だったり、その人たちとの繋がりであろうと。この繋がりが、直接は工芸の人たちと結びつかなくても、私の知っている分野の方々と工芸とで何か生み出すことはできるのではないか、と考えました。そこからハッカソンのアイデアを思いつきました。
 ハッカソンの魅力は、色々な分野の人たちが一つのチームになることだと考えています。そのディスカッションから、1対1では生み出し得ないアイデアの発展が期待できます。ハッカソンという形式を採ることで、我々の想像を超えるような発想が生まれるのではないか、と思ったからです。
 特に、今回はテクノロジーの分野の方々にご参加いただいています。先端テクノロジーの分野の方々に日本の工芸のことを知っていただきたいという思いがありましたから、このハッカソンという方法を選んでよかったと思っています。まずは知っていただきたかったし、その先の広がりを期待しました」

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「工芸ハッカソン」の会場は、平成6年に重要文化財に指定された菅野家住宅。高岡の土蔵造りの中でも、規模、質、保存度とも最も優れているという。

「工芸ハッカソン」は、後期日程の2017年11月19日にプレゼンテーション及び公開審査会を開催。一般の参加者も、そのアウトプットを楽しむことができる、街をあげてのイベントだ。
 審査で選ばれた作品は、2018年1月から2月にかけて富山は高岡市、富山市、そして魚津市で巡回展を行う予定だという。
 後期日程を間近に控え、熱を増し続ける「工芸サミット」では、そのプログラムの一環として、富山のものづくりと歴史や文化にふれる8つの「とやま工芸ツアー」も企画されているそうだ。

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 2015年(平成27年)4月には、文化庁の認定する"日本遺産"に認定された、高岡市。
 "日本遺産"、まだあまり馴染みのない言葉かもしれないが、文化財などを利用して、地域の歴史的魅力や特色をストーリーとして国内外に発信することで、地域の活性化を図る取り組みという。
 高岡が認定されたストーリーは、加賀前田家ゆかりの町民文化が花開くまち高岡--人、技、心--。
「工芸ハッカソン」で高岡の伝統工芸に触れる機会を得られたことで、この言葉に納得でき、改めて高岡というまちの魅力を思い出した。そして、このまちだからこそ、絶えることなく、いまも存続しうるのだろうと感じるのだ。

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林口砂里●Sari HAYASHIGUCHI
アート・プロデューサー。有限会社エピファニーワークス代表。
富山県高岡市出身。東京外国語大学中国語学科卒業。大学時代、留学先のロンドンで現代美術に出会い、アート・プロジェクトに携わることを志す。 ワタリウム美術館、水戸芸術館アートセンター、東京デザインセンター、P3 art and environmentでの勤務を経て、2005年に(有)エピファニーワークスを立ち上げる。現代美術、音楽、デザイン、仏教、科学と幅広い分野をつなげるプロジェクトの企画/プロデュースを手掛けている。また、2012年より拠点を高岡市に移し、東京と富山の二地域居住を続けながら、地域振興プロジェクトにも取り組んでいる。

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国際北陸工芸サミット
https://kogeisummit.jp/

工芸ハッカソン
https://kogeisummit.jp/hackathon/

とやま工芸ツアー
https://www.toyama-kogeitour.jp

文化創造都市高岡
http://bunkasouzou-takaoka.jp/

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