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渡部玲

ビューティライター

Akira Watanabe 渡部玲

女性誌の編集部、編集プロダクションに勤務した後に独立。現在は、フリーランスのエディター、ライターとして活動。

林周作さんは郷土菓子職人なのか

林さんに初めてお会いしたのは、2014年の暮れに開かれた、ギャラリーワッツでの個展を拝見した時だ。とてもユニークで楽しい展示に触れることができたのだが、なぜ、料理を専門に学ばれた林さんがお菓子作りに、それも郷土菓子に魅せられ、旅を続けているのかを知りたくなった。いわゆる菓子職人には見えなかったし、謎めいた人(ごめんなさい!)に映じたからだ。実際、3日間の会期に2度訪ねたが、話を聞けば聞くほどよくわからなかった。

 その個展で知ったのだが、2012年6月のパリに始まった自転車移動の旅を行い、2015年の3月30日には再開。この5月は、自転車を友にベトナムから上海に向けて動かれていると言う。なぜ菓子職人が旅を? その、気宇壮大とも感じる長い旅に何を求めているのか----それらの疑問を解くべく、郷土菓子研究社の林周作さんにお聞きすることにした。

林さん「小学校の頃からお菓子や料理を作るのが好きで、家族の誕生日のケーキや、なんでもない日に親しい人へのクレープなど作っていました。パウンドケーキなども焼いたりしましたし、料理はカレーが最初だったかな......幼い頃から作っていました。その頃の、小学校の卒業文集には『将来は、お好み焼きの料理人になりたい』と書いているくらいには好きだったようです。夢は、中学の頃は和食になり、高校の頃になるとイタリア料理へと変移して行きましたが、ずっと料理人への憧れは持ち続けていました」

----幼少時より"食"をキーワードに生きていくことを決めていた、とも伺いました。ビューティの分野においてもそれを抜きにしては考えられないこともあり、とても興味深いです

林さん「イタリア料理のシェフに、単純にかっこいい! と感じ、なりたい! と思いました。それで料理の学校に高校を出た後に入学したのです。

 僕は、理系で、通っていた高校は世間一般に進学校と言われるところでしたから、卒業後は当然のように大学に進みたいと考えていました。しかし、やはり料理人になることを選んだのです、高校2年の時でした」

----学生時代の私は、通っている学校や家などの狭い世界が総てであるかのような毎日だったなぁ、などと当時を振り返りながら伺っていました

林さん「親しい友人たちは大学受験のために日夜、勉強していましたし、同級生は皆大学へと進みました。でも僕は"差し当たり"として大学に行くことよりも、自分のやりたいことは何かを考えたのです。それでもやはり食の分野だ、と。もともと僕自身は、人とは違うことをやりたい性分であることは、この進路の決断に大きく関与しているとは客観的にも感じています(笑)

 食の分野に進むことを決断してからの学校生活といえば、苦手な文系の教科の時間などはずっとイタリア語を習得することに全力だったと記憶しています。

 高校を卒業した僕は料理の学校に通い、西洋料理を学びました。フランス料理とイタリア料理を教わりましたが、就職先はイタリア料理のレストランでした。イタリア料理は当時の僕にとって、より身近な存在だと思えたからです。

 勤めたお店は、5000円ほどのランチを供するようなところでした。人の繋がりもあった就職先選びでしたが、料理学校に学んだ人の多くは、オーセンティックなお店に入る人が多いのです。でも、その世界観が好きじゃなかった。料理を美しく盛ることが基本となることなど、重んじられることへの違和感がありました。それでその店を辞め、パン屋さんやデリカテッセンなどの"食"から離れない場所を探しながら働きました」

----当時、たくさんのことを考えられたのですね

林さん「僕は何をやりたいのかを考えました。振り返ると、パン屋さんで働いていた頃からずっと心にあったのはお菓子のことでした。街の中で目が向かうのも。

 そんなある日、一軒のお菓子屋さんを街で見つけたのです。これまで働いたレストランで作っていたイタリア菓子をそのお店は扱っていなかったお菓子でした。イタリアに限らず、ポルトガルなどの国のお菓子にも、存在するはずのお菓子がお店で扱っていない、という経験がその後も何度か重なり、じゃあ、ないなら作ろう! と考え、作り方を調べて作っては友人に食べてもらっていました。食べてくれた友人には好評でしたし、作るのも楽しかったけれど、僕の中にはずっと疑問があったのです。これらのお菓子は真に正しいものなのか、と」

----それで、現地のお菓子の真の姿を見るために旅に出られたのですね?

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旅のスタート時の林さん

林さん「きっかけにはなっています。

 僕は、21歳の頃に3ヶ月間ヨーロッパを旅しました。南イタリアに始まったこの旅は、北イタリア、スイス、フランス、スペイン、モロッコ、ポルトガル、チェコ、ハンガリー、オーストリア、ドイツ、オランダ、ベルギーの順に訪ねて行きました。何せ3ヶ月という短い期間にこれだけの国を巡るのですから、夜行列車を乗り継ぎ、移動に次ぐ移動の毎日。来る日も来る日も郷土菓子について調べては食べて......を繰り返す日々で、現地で食べるものは実に美味しかったのです。日本で売られているお菓子は比較的上品なものが多いですが、現地の街に溢れている郷土菓子は、ドギツい色をした雑な作りのものが多かったことは今も鮮明に覚えています。この旅の中で出合った絹織物の名産地のリヨンで出合ったクッサン ド リヨン(Coussin de Lyon)を食べたことは特に印象的でした。これは日本で伝えなければ! 持ち帰ろう! と考えるほどに圧倒されました」

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現地で出合ったCoussin de Lyon(撮影 : 林周作)

----今の林さんの活動の原点ですね

林さん「クッサン ド リヨンを知り、出合ったことでこの感動を伝えたい、と心から思えたのです。現地で見たものをシェアしたいと考えました。

 その伝達手段は、旅に出る少し前に始めていたFacebookです。最初は、親しい友人だけが見てくれていた投稿でしたし、その友人らも旅の記録のようなものとして捉えていたと思います。それが旅の間に徐々に広がっていったのを覚えています。これまでとは何か、違うことができるんじゃないか、という予感を感じるある種の、もちろん希望を内包した思いを持ちながら帰国と同時に東京に越してきました」

----京都から東京へ。どちらを拠点に活動されていたのですか?

林さん「夏に阿佐ヶ谷に越してきて、イベントなどで使ってもらうお菓子を作っていました。バイトなどもやりながら、半年ほど暮らしたのですが、東京での生活が4ヶ月ほど経った頃にギャラリーワッツ(東京・南青山)で初めての個展を3日間開く機会があったのです。この個展での様々な出合いは、その後の僕を支えてくれています。

 そもそも郷土菓子とは、あまり人には注目してもらえないような素朴さのあるものであると考えています。でもそれをそのまま作るのでは、いらしてくださる方はきっと手にとってくださらないだろうと考えました。だから、イベントでのお菓子は、"見た目は美しく、味は現地のまま"であることを意識しました」

----そして、東日本大震災が発生してしまいました

林さん「パーティーやイベントなどの仕事の予定が幾つかあったのですが、それがすべてキャンセルになり、何もすることがなくなりました。さて、どうしよう、と考えた時に、もう一度旅に出よう! と決めました。3ヶ月では時間が足りないと感じていましたから、今度は1年かけてじっくり見たい、学ぶ時間を持とうと思いました。

 行き先はヨーロッパならどこでも良かったのですが、フランスが最もvisaの取りやすい国だったのです。

 2012年6月、僕はフランスに渡り、北西部にあるアンジェという街のぶどう畑で働き始めました。それからアルザス......と続いた前回の旅でした」

----言葉はどうなさったのですか?

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現地の言葉を記したノート

林さん「例えば、トルコ。滞在中にこのように記しながら、現地の言葉を増やしていきました」

----文化であると考える言葉を学ぶことはその国の文化を知ることでもあると思います。しかし、英語に頼らず、現地語を使おうとされているところに林さんの旅のスタイルが表れていると思います

林さん「現地語を学ぼうとしたのは、コミュニケーションのためです。自転車で移動し、滞在してゆくために必要なものだと考えています。

 最低1ヶ月は滞在する自転車の旅は、「僕の名前は林です。自転車で旅をしています」などの自己紹介や"ありがとう"や"ごめんなさい"などの基本的な言葉から覚えていきます。その方法は、まずはノートに英語で知りたい言葉を書いて、通りすがりの方々に路上で訊くのです。「訳してくださいませんか?」とお願いするのです。1人か2人の英語のできる人は必ず見つかりますから、その方に訳してもらった後に読んでもらい、その読みをメモしておけばなんとか1ヶ月は暮らすことができるのです。僕の、必要最低限のコミュケーションツールとしての言葉を記しているノートには、日常生活に必要な言葉とお菓子屋さんで使う言葉をメモしています」

----共通言語であるコミュニケーションツールのほかにも、林さんが旅には林さんらしい工夫がたくさんあると感じます。例えば、移動するための自転車もその一つですね

「その自転車には旅の荷物はTシャツ下着を3セット、それから荷物の入ったバッグを自転車に装着ための連結バンドなど、僕の旅のルールはいくつかあります。

 例えば、旅のルート。スケジュールを立てる時、まず最初にゴールを決めます。2012年6月から旅した1年9ヶ月間の前回は、フランスのミュールーズに入り、ベトナムまで移動しました、すべて陸路......のはずでしたが、強制出国を命じられるなどのトラブルがあったために3度飛行機に乗りました。そして次の、2015年3月からの旅(9ヶ月間を予定)のゴールに上海を選んだのは、日本行きの船が出ているのがその理由。考え方もスタイルも、とてもシンプルだと自身では思っています」

----2度目の長い旅を終えられた時、どのようなことを考えていらっしゃたのでしょう

林さん「一ヶ月ほど、ぼんやりしていました(笑) その日本に暮らしている日常とはまるで違う海外での毎日はとにかく刺激的で、全力で暮らしていましたから。

 そんなこれまでの、通算3年ほどの旅で印象に残っていることは、トルコやフランスの人たちは、とにかく自国のお菓子が好きであること。それを知ったことが、改めて日本における和菓子のことを考えるきっかけになりました。とりわけ、若い世代と和菓子との関係性のことをずっと考えています。尤も、僕自身もよく知らない分野であるというのもあります。

 異国で出合った人たちの家族との関係性や時間の使い方に惹かれました。少なくとも僕の知る日本人とは全く違っていたのです。その海外の暮らしや文化は、僕にとってとても魅力的でした。自国を、その国の文化をも愛しているのだ、と訪ねた先々で強く感じさせらたことを鮮明に覚えています。

 そして今、日本にいる僕は、向こうで覚えたお菓子を作っています。

 2015年の3月には京都のお茶室で、アゼルバイジャンの衣装を着用し、アゼルバイジャンのお茶とお菓子を振る舞う会を催しました。アゼルバイジャンでは最も盛大なお祭りで、一週間もお休みになるという新年のお祭りを再現したのですが、そのお茶室には展示スペースが二つありましたから、日本の牡丹餅も供えました。アゼルバイジャンの新年は春分と重なり、昼と夜も丁度12時間ずつという特別な日なのです。その日に日本ではお彼岸にあたり、アゼルバイジャンを通して日本の文化を改めて感じて欲しい、という思いがあったため、この企画を考えました。この会が実現できたことで漸く日本の郷土菓子である和菓子を伝えられた、と思い得たと同時に、僕の郷土菓子研究社としての"始まり"であると感じられた時間になりました」

----林さんがお菓子の魅力に取り憑かれたのは、作ることの楽しさであり、それらを悦んでくれる人たちがいたからと仰っていましたが、3度目の旅が間もなく始まろうとしている今はいかがですか?

林さん「それは今も変わりません。レシピを完成させるまでの作業も含めて、お菓子作りは楽しいと感じ得るものです。でも、僕はそれを量産することに苦手意識があるのです。それもあって、将来的には、どのような環境にあっても同じように作ることのできる、またどこで食べても同じ味になるレシピを制作と考えています」

林さんの創られた「郷土菓子研究社」の手がけられるもののすべて----例えばフリーペーパーやホームページ書籍など----には、小麦と泡立て器でデザインされたシンボルマークが飾られている。

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「これを考えたのは、専門学校を卒業した年ですから、19歳の頃。今のようにマニアックなものに対してではありませんでしたが、僕にとってのお菓子は、生菓子ではなく焼き菓子であり、お菓子作りの道具に欠かせないものはホイッパーであると考えているからだと思います。焼かれているものだから美味しいという気持ちは、その頃からずっと変わっていません」と林さん。そして、「ゴールは見えていません。ただ、日本では味わうことのないことを経験したいし、見たいのです。それらの、日本人の知らないものを日本で伝えたい----ただ、僕の好きなものはクセのあるものなのです、多くの人が興味を持ってくださるものではないだろうとは思いますが、それでも僕はこの先もずっと旅を続けたいです。僕にとって旅とは"発掘"だから」と続けた。

 パソコンにカメラ、3枚のT シャツなど、最低限の荷物を載せた自転車で異国の地を駆け巡る林さんを現時点での私は、冒険者のようだと感じている。実像はまだ見えない。

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林さんから届いた、2015年5月のベトナムでの1枚

林 周作●Shusaku HAYASHI

郷土菓子研究社主宰。1988年、京都生れ。2008年に、エコール辻大阪フランス・イタリア料理課程を卒業。郷土菓子の魅力に取りつかれ、世界各国の郷土菓子を実際に食べ、味を伝える郷土菓子職人となる。フランス菓子店の勤務を経て、2012年6月から自転車でユーラシア大陸を横断。

世界を旅しながら毎月発行していた郷土菓子専門フリーペーパー 『THE PASTRY TIMES <http://www.kyodogashi-kenkyusha.com/thepastrytimes/> 』を、一部店舗や郷土菓子研究社ウェブサイトでにて配布。各国を訪れてはその土地の郷土菓子を調査し、その数は200種以上。訪れた国は現在32カ国を数える。2015年3月30日からインドネシア-上海間の郷土菓子研究予定。

2014年6月には初めての著書「日本人が知らない背じゃ意の郷土菓子をめぐる旅(KADOKAWA 刊行)」を上梓。

郷土菓子研究社

http://www.kyodogashi-kenkyusha.com/

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改めまして、渡部です、よろしくお願いいたします!

 リスタートしたブログのメンバーに、また加えて頂けることになりました。これまでのビューティに関したものだけに限らず、気になるコトやヒトなども書いていきたい、と考えています。

 そこで今回は、郷土菓子研究家の林さんにお話を伺いました。再スタート初の投稿が無事に終えられたら、日本のお菓子を食べたい......!

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